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京友禅の老舗・小糸染芸の150年 親子二代が紡ぐ歴史

※本記事は2019年3月19日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

赤穂浪士の大石内蔵助(くらのすけ)をまつる大石神社近くにある友禅染の老舗「小糸染芸(こいとせんげい)」は明治元年の創業だ。もともと堀川御池にあったが、50年ほど前に移ってきた。4代目で現会長の小糸敏夫さん(86)が結婚を機に、ここに社屋を構えた。時は山科区が東山から分区する前。「東山区山科」と呼ばれ、田畑が広がっていた。

代々、型紙を用いて染める「型友禅」の技法を受け継いでいる。敏夫さんは卓越した技能をもつ職人を厚生労働相が表彰する「現代の名工」に選ばれている。3代目だった父親の啓介さん(故人)に続き、親子2代での受賞となった。

10年ほど前、狂言を演じる小糸敏夫さん=京都市上京区烏丸通中立売上ルの金剛能楽堂、小糸さん提供

敏夫さんには、もう一つの顔がある。30歳ぐらいから狂言の人間国宝、四世茂山千作(しげやませんさく)さん(2013年に93歳で死去)に師事してきた。このころ狂言は京の旦那衆が支えていた。

千作さんの地方公演に付き添い、共演もした。観客が楽屋にきて感動したと伝える姿を見た。「先生は人の気持ちを動かせるすごい方だった。染め屋の仕事とも通じるところがある。品を見せ、『ええなあ』と感動させる精神が大事」

昭和50年代まで娘の結婚時に親が着物をもたせる風習が続き、商売は安定していた。その後、次第に着物業界は右肩下がりになった。

着物販売はいくつもの問屋を通るのが一般的だが、同社は平成に入り、顧客に手がけた反物のアピールを直接するようになった。客が何を求めているか、自分たちは何をつくるべきなのかを探るためだ。「つくり手自身が伝統産業のすばらしさを伝えるから説得力がある」

敏夫さんは「制作から流通、販売まで関わり、在庫をもつのはリスクがあった」と振り返る。

本業を救ったのは狂言だった。各地の問屋や小売りが用意した舞台で狂言を演じた後、展示会を催す。5年ほど続けるうち、新たな顧客を開拓できた。

敏夫さんは10年ほど前、長男の太郎さん(53)に後を譲り、会長に就いた。社長になった太郎さんは「覚悟がいる。会長の時代とは全く違う」と話す。

太郎さんは1カ月のうち半分は出張。各地で顧客と向き合い、着物についての考えを聞く。「どんな風になりたいですか。食事のお出かけ着にいかがでしょうか」。まるでスタイリストのような質問だ。特別な茶会で着飾るときに袖を通すのではなく、ふだんのおしゃれ着にしてほしいと願っている。

小糸染芸は昨年4月、創業150周年の記念展を開いた。敏夫さんは狂言を披露。並んだ品々を見た人からは「着物のイメージが変わった。着たくなった」と言われた。

敏夫さんは「時代は移り変わる。息子に任せている」。太郎さんは「伝統や文化を守りながら、変えていく勇気が大切だ」と語る。

今月13日に開催された京友禅競技大会で、同じ図柄を繰り返す「小紋」の反物が知事賞を獲得した。デザインや配色を手がけた太郎さんは、シャンパングラスを持って夜景を眺める時に似合うイメージでつくったという。(徳永猛城)

京友禅競技大会で知事賞に選ばれた小糸染芸の小紋=京都市左京区岡崎成勝寺町のみやこめっせ

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