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選手村の中、国籍よりも競技者 為末大さんが語る五輪

※本記事は2020年1月13日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

この夏、世界のアスリートが東京に集い、五輪・パラリンピックが幕を開けます。自国開催の「平和の祭典」を、未来にどう生かしていくか。3度の五輪出場経験がある広島出身の為末大さん(41)に尋ねました。


8歳から陸上を始めました。高校は、広島市中心部を見下ろせる「比治山」のそばの広島皆実へ。山の坂道をよく上っていました。練習きつかったなあ。

高校3年生のときに広島で国体がありましたが、地元開催のプレッシャーは感じませんでした。決勝の様子がテレビで放送されていたことを覚えています。僕は良い記録が出たのできっとよかったんでしょうね。

世界大会に出るようになって、五輪と世界陸上とは、メディアも含めて社会の反応が違うなと思いました。アスリートって4年に一度のリズムになっているんですよね、体が。間に浮き沈みはありますけどね。

広島での思い出や、五輪について語る為末大さん=東京都江東区豊洲、飯塚悟撮影

僕は結局五輪ではうまくいかなかったけど、覚えていることが二つあります。

2000年シドニー大会で、豪州の先住民の血を継ぐキャシー・フリーマン選手が女子400メートル決勝に出ました。白人と先住民との融和を掲げた大会でした。

決勝を僕はスタンドで見ていたんだけど、スタートを切った後、競技場が揺れんばかりの状態になって。ゴール後に熱狂する観客、光るカメラのフラッシュ、優勝して放心し、座り込む彼女……。5分くらいか、実際は15秒くらいかもしれないけど釘付けになった。彼女はハッと我に返ってウィニングランしたんだけど、「何かが宿るってこれか」って思いました。オリンピックの舞台では何かがとりつくんですね。

もう一つは08年北京大会の選手村での出来事。深夜の食堂で、ぽつんといた北朝鮮か韓国の選手に「バナナとって」って言われてとってあげたんです。選手しかいない空間で国籍を背負ってないと、人間の振る舞いってこうも自然になるんだって感銘を受けて。

例えば韓国人と戦争のときのことを話そうとなると、ピリッと何かが走るじゃないですか。人間のアイデンティティーで国籍は大きな部分を占めています。でも選手村の中では「陸上選手」が「日本人」というアイデンティティーより強い。すると違う振る舞いがでてくる。スポーツって平和に使えるのかなって思うようになっています。

東京五輪・パラリンピックで日本が世界に発することができるメッセージは、寛容さだと思います。その一つは宗教です。日本は多神教らしくカオスだけど、寛容なのがいいんじゃないかな。

一方、日本は五輪に何を期待するのか。それは「次の道に歩き出すためのプロセス」かなと思っています。経済大国でキラキラした日本はもうない。高齢化で働き手も足りない。移民や社会保障の議論は避けて通れない。もう新しい形に変わらなきゃいけないけど踏ん切りがついていない。

五輪の今年、思いも寄らない日本のよい部分が褒められて「新しい自分たちにそろそろ変わろうかな」と腑(ふ)に落ちる瞬間があったらそれが一番のメリットかなと思います。寛容で住みよくておおらかで、いろんな人が来やすい国になる第一歩を踏み出す。そうした世論形成の機会になればと思います。

アスリートのみなさんには、大会を楽しんで頑張ってほしいです。パラスポーツは「2020」をきっかけに知ってもらえたと選手たちも感じているので、もっと広がるといいな。

期間中は盛り上がって会場に足を運ぶ人も多いと思います。ただ、大会のあとは、また日常に戻る。観客の少ないスポーツもありますが、スポーツ界もどうしたら見に来てもらえるか考えなきゃいけない。いろんなアイデアをもらってスポーツは変わっていかなきゃいけないですね。(構成・成田愛恵)

為末大(ためすえ・だい) 1978年、広島市出身。2001年、05年の世界選手権(400メートル障害)で銅メダルを獲得。00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3度五輪に出場。男子400メートル障害の日本記録保持者。12年に現役引退後は解説のほか、子ども向けに走り方講座を開催し、パラアスリートのコーチを務めるなど多方面で活躍する。

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