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スポーツで幸せに サッカー・Jリーグ初代チェアマン、川淵三郎さん

※本記事は2019年7月27日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

企業の広告塔から、地域の財産へ──。平成のスポーツ界は大きな変化を遂げた。転機は1993年、地名をチーム名にしたJリーグの誕生だ。理念は「スポーツでもっと幸せな国へ」。だがスポーツ界全体を見渡せば、今も競技団体の内向きな振る舞いや、現場での暴力的な指導も目立つ。改革者は、現状をどう見るのか。

──平成のスポーツ界で最大のトピックは何かといえば、Jリーグの誕生ではないかと思います。初代チェアマンとしてどうとらえていますか。

「企業の広告や福利厚生ではなく、『地域密着』を大前提にするプロスポーツが誕生しました。一大改革だった。当時、渡辺さん(読売新聞グループ本社の渡辺恒雄主筆)から『空疎な理念』と言われたけど、日本中の多くの人もおそらくイメージがわかなかったと思う。でもその後、プロ野球でも地域密着が進み、今では逆にJリーグが見習うこともある。うれしくてねえ」

──チーム名から企業名を外すことを徹底しましたね。

「チームが根ざしているのは企業ではなく、地域だということを明確に世間に示すためです」

──四半世紀以上が過ぎ、達成できたこと、できていないことは何でしょう。

「10チームで始まり、『16チームになるには10年かかる』と言いましたが、現在、55です。アジア進出もそうだけど、農業をやって地域おこしに貢献するようなクラブが出てきたことは、スタート時の思いを超えた例ですね。Jリーグはアジアの選手にとって『憧れのリーグ』という地位も築けました」

「でも、まだまだ。選手には海外にどんどん出ていけと奨励しましたが、代表選手が海外に出ても国内リーグの人気があり、代表も強いオランダのようにならないと」

──観客数は頭打ちです。

「1試合平均2万人を超えていない。大規模なサッカー専用スタジアムをいかに増やすかが課題。また『百年構想』として、各クラブは総合的なスポーツクラブとすることが理想でしたが、経済的にゆとりがなく、他のスポーツを育てるまではできていません。でも、時間を要することですが、いずれ達成されていくでしょう」

──サッカー専用スタジアムは理想でしょうが、お金もかかり難しいのではないですか。

「新しく建てるとなると150億円。維持費の負担を自治体に頼るのはもちろんだめです。それでも長期的な視野で生かす方法を工夫していけばいいが、母体企業から出向で来て数年でいなくなるようなサラリーマン社長では発案すらできなかったのだと思います。ただ、神戸では楽天会長兼社長の三木谷浩史さんが元スペイン代表のイニエスタ選手を連れてきた。長崎ではジャパネットたかた創業者の高田明さんというスケールの大きいオーナーが、長崎駅近くにスタジアム建設の構想を立てています。そういう成功例が出れば他のクラブも見習っていけますよ」

■     ■

──サッカー界の次はバスケットボールの世界に移り、プロリーグ「Bリーグ」が発足しました。

「当時のbjリーグは大きな損失が重なっていました。競技人口が63万人もいる世界でも人気があるスポーツで、300億円の市場にするんだから、あたふたしないでぶっ潰して、みんなで一から出直そう、というところから始まったんだ」

「全国に体育館はあったが、収容人数3千人を超す施設が少なかった。物販禁止や土足禁止など、観客動員が第一のプロからみればおかしな決まりも多かった。そこで、『5千人収容のホームアリーナで8割の試合をすること』をBリーグ1部参入の条件にした。全部がそんなのできるはずない、と思っていたら、地元の首長の許可を得て8割使わせてもらえるというところが短期間でいくつもできた」

──現在はラグビーやホッケーなど球技9競技のリーグ活性化を図る日本トップリーグ連携機構の会長です。大事にすることは。

「サッカーは、1968年メキシコ五輪で銅メダルという結果を残しながら、若手と指導者の育成ができず、その後の長い低迷を経験した。一部のエリートを強化するだけで、後に続く選手のための環境整備をしなかったからです。今度の東京五輪に向けて過去最大の予算をつけてもらった各競技団体が目先の強化ばかりに傾くと、同じことになりかねない。サッカーの二の舞いにならないように将来への基礎や環境づくりに力を入れるべきです。改革に反対の動きがあれば活を入れています。我慢できなくなって競技団体のトップに、『あなた、やめなさい』と言ったこともあったね」

──次への基礎というなら、ご自身こそ後継の人材をしっかり育てることが必要ではないですか。

「経営能力のある人がしかるべき立場に立ち、自分で築いていくしかないんじゃないかな」

──各団体が内発的に変わっていく仕組みはできないのですか。

「必要なのは人材。元選手が無条件にスポーツビジネスができるわけではないのに、かつて選手として活躍した人が競技団体の重鎮をしている。また給料が少なく、本業として外部から参入する人材が少ない。人材の確保こそが、すべてをいい方向に向ける」

──昨年はスポーツ界でパワハラなどが相次ぎ表面化しました。何を変えればいいのですか。

「今、スポーツ庁が音頭をとって競技団体がガバナンスを自己チェックし、日本オリンピック委員会(JOC)などが競技団体の適合性を審査する仕組みができつつある。問題は、団体トップのガバナンス能力にまで踏み込めるかどうかだね」

「もめそうなところには僕がいた方がいいかな、とも思う。本当に、スポーツを良くしたいという純粋な気持ちなんだ。具体的な提案なり相手に対する説得なり、公平な立場でものを言えるのは自分しかいないかな。そういうのができなくなったら引退したいけどね。でも今はまだだね。自分で自分の価値を認めているというか、そう思っている」

■     ■

──学校や部活のあり方についてはどう考えますか。

「今の学校教育のあり方自体が問題だと僕は思っている。学校に行かない子を責めるよりも、もっと楽しいと思える学校にするべきだ。部活では、指導者側が子どもから評価をされていないことが問題。米国では季節ごとにやるスポーツを変えるので、指導者が気に入らなければ他のところに行ける。でも、日本は自分の競技に取り込んでほかの競技に行かせず、しかも長時間拘束することがうまくなる道であるかのような大間違いをしている」

──もっと違う方法があると。

「ドイツでは、1週間に3日間の練習で素晴らしい選手が育っている。日本の部活で一番くだらないのは練習ばっかりなところ。日本もシーズン制にして『一つのスポーツだけ』はやめる。そうすれば、燃え尽き症候群になる子は減り、指導者も勉強する、頭ごなしに暴言なんてとんでもない、となる。保護者も、『今度の指導者はあんまり怒らないからダメね』って言っている。みんな悪い。怒られてやるスポーツが面白いのかってことだよ」

■     ■

──東京五輪まで1年を切りましたが、賛否両論あります。人々の暮らし向きが良くないなか、大金を投じてもいいのでしょうか。

「それは、図書館、美術館はなんであるのか、と聞くのと似ているところがあって、100%の人が賛成するということはないだろうね。でも施設を活用し、多くの人がスポーツっていいなと思ってくれるような大会にできれば、社会を大きく変革することになると思うよ」

──スポーツができる環境がない人もいます。

「令和の時代は、色んな人が余暇を楽しみ、生活をエンジョイできるスポーツの時代になっていくと思う。これからはAI技術の影響などで働く時間が短くなり、前向きになれる活動や趣味に時間を割ける。そういう時代こそスポーツの出番。パラリンピックの種目は障害者も健常者も一緒にできる。今までスポーツができないか嫌いだった人も楽しめるスポーツも考案されている。スポーツは、トップ選手によるビジネスとともに、多くの人の生活の一部になる草の根の発展が求められている」

──生活の一部、ですか。

「ロンドンの公園を思い出すね。芝が深かった。ラグビーやサッカーをやっていたのをそばで見ていたら、やらないかって言われたんだよ。大きな子からちっちゃな子まで一緒に『わーっ』て声を出してやっていて。『いいなあ』と思った。そういう、近くの人が集まって一緒にやろうっていう場がなくちゃいけない。そしてそんな雰囲気ができて初めて、日本のスポーツ文化は欧米並みだと言われるんじゃない? 令和は、欧州で普通にあるような風景が日本で見られる時代になってほしいよ」(聞き手 編集委員・中小路徹、後藤太輔)



かわぶちさぶろう 1936年生まれ。64年東京五輪サッカー日本代表選手。サッカーとバスケの両協会長などを歴任。現在、日本トップリーグ連携機構会長。

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