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【人生の贈りもの】演出家・テリー伊藤(1) 厳しい今こそユーモアの底力を

※本記事は2020年4月28日から2020年5月22日に朝日新聞デジタルで公開された連載を再編集しています。

新型コロナウイルスの急速な感染拡大に芸能界も大きく揺れ動いています。ふと思い出したのは、第2次大戦下のイタリアを舞台にした映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(1997年)です。ナチスによるユダヤ人への迫害が進む中、幼い息子の純粋な気持ちを守ろうと父親が必死になって「道化」を演じていましたね。

私も自宅で過ごす時間が長くなりました。スタジオでの撮影も見合わせになりました。でもどんな厳しい状況に陥っても、ユーモアは人間に希望をもたらす大きな力になります。気持ち次第で人生は変わっていくんです。

《森羅万象にアンテナを張る。動画配信サイト「ユーチューブ」にもオリジナル映像を投稿し、「30万円車探しの旅」という番組も人気を集めている》

登録者数が一目で分かるうえ、こちらが「これは受ける」と思ってもそうではないときがある。理屈や建前は関係ない。「面白いか、面白くないか」。番組作りの基準ははっきりしているんです。

《「バラエティーの天才」と呼ばれた男も70歳。どんな仕掛けで2020年代の私たちを楽しませてくれるか》

プロレスラーのジャイアント馬場さんが好きでした。61歳で亡くなる直前までリングに上がり続け、「限界だよ」と陰口をたたかれながらも自らの姿を見せた。でもファンは、力の衰えた馬場さんがリングに上がることを許容していたのです。

弱くてもいいじゃない。そんなことを楽しく伝えていきたいなあ。限りを知ると世の中の動きがよく見えますよ。

築地の女湯に同級生、赤っ恥

敗戦から75年。「戦争を知らない子供たち」もそれ相応に年を重ねてきたなあ、と実感しています。私も昨年暮れ、70歳になり、高校時代の仲間たちが祝ってくれました。みんな「戦争を知らない老人たち」です。

生まれは東京・築地。80年以上の歴史を持つ「玉子焼き屋」の四男です。両親と兄が3人、姉が1人います。住み込みの職人さんらと一緒に築地場外市場の木造長屋で暮らしていました。

《街のあちこちに戦争の傷痕が生々しく残っていた。店の前には川が流れていて、貨物運搬用の船が停泊していた》

幅数メートル、長さは20メートルくらいだったかなあ。その船の中で、築地小学校の同級生の女の子が家族と一緒に暮らしていました。北海道から船で運ばれてきた石炭をトラックに積み込むとき、いくらかこぼれます。ご両親はそれを拾ってリヤカーに積み、街に出て売り歩いていたそうです。

公衆トイレからホースで水を引き、船上のドラム缶にためていました。もちろん不法係留ですが、当時はそんなことを問題にする人は誰もいませんでした。

《自宅の近くに銭湯があった》

おふくろと一緒に女湯に入っていました。当時はそれが普通でした。ですが小学1年か2年のころだったかな、Mさんという同級生の女の子に流し場で会ってしまったのです。その子の家は内風呂があったのですが、何かの事情で入れなくなったのでしょう。

恥ずかしがるようなそぶりも見せず、湯煙の向こうから笑顔で「こんにちは!」と声を掛けてきたのです。恥ずかしくて顔から火が出るようでした。

それまでにも何度か同級生の女の子には女湯で会っていたはずです。何の違和感もありませんでした。ですが、Mさんに会った瞬間、異性への関心というのが芽生えてしまったのでしょうね。次の日からは、おやじと一緒に男湯に入るようになりました。

(聞き手 編集委員・小泉信一)

<<テリー伊藤さんの連載・第二回はこちら>>

テリー伊藤(てりー・いとう) 1949年、東京・築地生まれ。本名伊藤輝夫(てるお)。日大卒。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ねるとん紅鯨団」など数々の人気テレビ番組を手がけた。著書に『お笑い北朝鮮』『お笑い大蔵省極秘情報』など多数。

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