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木造平屋築102年の愛され駅舎 撤去を止めた地元住民

※本記事は2021年2月12日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

大阪と和歌山を結ぶ南海本線の諏訪ノ森駅(堺市西区)は、各停しかとまらず、駅員も1人しかいない普通の駅だ。ただ一つ、改札脇の木造平屋の洋館が際だって目を引く。102年前に建てられ、一昨年に引退した旧駅舎で、高架化工事で撤去されそうになった。そこに待ったをかけたのが、「残したい」という住民の素朴な思いだった。

鉄道会社が生んだ町

駅がある堺市の浜寺地区は、古くからの高級住宅街で、この町の誕生そのものに、南海電鉄が深く関わっている。1897(明治30)年、「寂寥(せきりょう)たる松原であった」(南海電気鉄道百年史)この地区に停車場(現・浜寺公園駅)を開いた。そばには「東洋一」とうたわれた海水浴場や遊園地を造り、海浜リゾートとして開発した。堺市史によると、大正から昭和初期にかけ、一帯に別荘や屋敷などが立ち並ぶようになった。

諏訪ノ森駅の旧駅舎ができた1919(大正8)年は、そんな時期だ。駅舎にはアーチ状の窓や石張りの外壁、2人掛けの木製ベンチなど、町の雰囲気に合った洋風のデザインが取り入れられた。

旧駅舎の壁にはめ込まれた5枚のステンドグラスには、浜寺の海岸の風景が描かれている=堺市西区、玉置太郎撮影

1998年には、一つ南の浜寺公園駅の旧駅舎とともに、国の登録有形文化財になった。浜寺公園駅舎は東京駅などを手がけた建築家、辰野金吾の事務所が設計したのに対し、諏訪ノ森駅舎は「設計者不明」(南海電鉄広報)とされるが、意匠をこらしたデザインが特徴的。入り口上部の5枚のステンドグラスは特に評価が高く、松林が有名な浜寺の海岸から、沖合の淡路島を眺めた風景が描かれている。

開発で消えゆく町の面影

「ぼくらの世代は、この風景を見たことがないんです」。地元で生まれ育ち、駅近くで不動産店を営む長谷川琢也さん(58)はそう話す。堺市周辺の沿岸では1950年代末から工業地帯の埋め立て造成が始まり、今は巨大な工場が立ち並ぶ。浜寺の街も大阪のベッドタウンとして宅地開発が進み、古い街並みは姿を消していった。

かつての町の面影を残す諏訪ノ森旧駅舎にも、撤去の可能性が持ち上がった。2003年、周辺の線路2.7キロを高架にする工事の着工準備を国が採択。旧駅舎は工事中の仮線路が敷かれる場所にあった。

駅舎撤去の可能性 地元住民、自治体は…

長谷川さんも、工事の話を人づてに聞いた。高校時代に通学で毎日使った駅舎。夜、ステンドグラスから漏れる明かりが、遠くからでも鮮やかに見えた。「このままなくしてええんか」。

自治会や学校のPTAで顔なじみの住民に声をかけ、保存策を話し合った。維持管理の大変さから消極的な意見もあったが、保存・活用をめざすことで地元はまとまった。

要望を受けた市は、住民を交えた勉強会や懇話会を開いて、駅舎保存の道を探った。南海も合意し、08年に駅舎の移設、保存の構想が決まった。堺市の担当者は「鉄道の高架化工事では、全く新しい駅にしてしまう例も多い。地元の人々が愛着をもつ駅舎を町づくりに生かすことは、良いモデルケースになる」と話す。

旧駅舎を25メートル移設する曳家工事。手前の作業員がレバーを引くたびに建物が少しずつ動いた=2020年2月3日、堺市西区、加戸靖史撮影

完成からちょうど100年たった2019年5月、旧駅舎は引退した。セレモニーでは地元の小学生が寄せ書きの「卒業証書」を贈った。南海は昨年、建物をジャッキで持ち上げる曳家(ひきや)工事で、旧駅舎を25メートル西へ移した。新駅は2028年までに完成する予定で、旧駅舎はその駅前広場に移す計画だ。

引退駅舎を「活用」する

それまでは、長谷川さんら地元住民約60人でつくるNPO「浜寺諏訪森を考える会」が、交流サロンとして活用する。市と南海が駅務室だった場所を台所やカウンターに改装。NPOは約100万円を集め、冷蔵庫や机といった備品を買った。昨年9月から日替わりで貸し出したところ、カフェや雑貨店、文化教室などの利用で予約が埋まった。

旧駅舎は日替わりで店舗や文化教室として貸し出され、この日は地元のパン店が出店した=2021年2月3日、堺市西区、玉置太郎撮影

地元のパン屋「パン・ド・ベル」は月2~3回出店する。店員の井上婦美子さん(65)も浜寺出身で、「便利な場所なので、地域の人たちが喜んで買いに来てくれる」という。取材に訪れた日も、ひっきりなしに来客があった。

旧駅舎の建物は、南海電鉄がNPOに無償で貸している。南海の広報担当者は「歴史ある建物なので、地元の方々に必要とされ、活用してもらえるのは大変ありがたい」と話す。

諏訪ノ森駅上りホーム(写真左)の脇で進む高架化の工事。ここにあった旧駅舎が西側(写真右)に移設された=2021年2月3日、堺市西区、玉置太郎撮影

月約10万円の建物維持費は、NPOが集めた出店料でまかなう。新型コロナの緊急事態宣言を受けた出店キャンセルもあり、2月は赤字が出そうだ。それでも、地元の人から「駅舎が残ってよかった」と声をかけてもらうのが、長谷川さんの喜びだ。

「ぼくらの時代は、開発でいろんなもんをなくしてしもた。そやけどこの駅舎は、地元の思いを示して残すことができた。町のシンボルとして、後の世代に何とか引き継ぎたい」(玉置太郎)

旧駅舎の入り口に立つ、NPO「浜寺諏訪森を考える会」の長谷川琢也理事長=堺市西区、玉置太郎撮影

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