幸四郎と猿之助が語る オンライン歌舞伎と、その先
ことしコロナ禍の中で生まれた伝統芸能の新機軸、図夢歌舞伎の第2弾「弥次喜多」配信に際し、弥次郎兵衛(やじろべえ)役の松本幸四郎と喜多八役の市川猿之助が、オンライン演劇に対する思いを語った。一問一答は次の通り。
――最初の「図夢歌舞伎」の手応えは。どんな反響がありましたか。
幸四郎 歌舞伎を制作してる方々で、全て手探りで作品をつくったところが大きい。一番耳に入るのは、相手役の目線だったりする撮り方が面白かったと。映像でなければできないことで、歌舞伎演出のお芝居が映像作品としても成立し得ると思いました。
――2作目に「弥次喜多」をやるのは。
猿之助 これからの歌舞伎は、舞台と映像と両方進んでいくべきだと思う。「弥次喜多」は、毎年8月に新作を生み出していた。今年は歌舞伎座再開の影響でできなかった。なんとかして続けたいなあと思ってたんです。そこで図夢がうまく合わさった。しかし、打ち合わせもそんなにできませんし、いろいろな工夫をしました。
撮影の1カ月前は何もできていませんでした。台本ができたのは1週間ぐらい前ですから。撮影は本番の舞台が終わった後に。歌舞伎に携わってる人が作ってますから。映画に詳しいのは監督とカメラマンぐらい。幸四郎さんに僕、(市川)中車さんと映像作品に出てる人がいたからできた。
――漫画や映画に、何回もアレンジされて新しい作品となる弥次喜多の魅力とは。
幸四郎 そこに行ったらどうなるとか、何かを得られるとか考えていない。興味本位でどこへでも旅ができる。(こういう設定だから)いつの時代でも存在してしまう二人なんでしょうね。これ弥次喜多ですよ。僕ら二人じゃないですよ。
猿之助 十返舎一九のおかげですよね。ざっくりとしたことしか決めてくんなかったからよかった、これがギリシャ悲劇みたいだったら変えらんないけど。
弥次喜多、パンデミックに遭遇す
――今回の弥次喜多は、原作に舞台「狭き門より入れ」(2009年)を使いました。猿之助さんにとっては初めての現代劇でしたね。
猿之助 絵空事としても、あまりにも現実とかけ離れすぎて、あのころはお客も「そんなことねえだろ、世界に疫病が」って言ってた感じですよ。それがほんとになっちゃった。
「へーまた感染者出てんだってよ、あっ物流止まった。あっロックダウンしたね」。まさにいまの状況だった。ホントに自分たちの身に迫ってるように見える。今回は笑いもありつつ、いま見てる人がちょっと背筋がぷるっと来るようなつくりにしたかった。
――原作の戯曲を書いた前川知大さん、今回の構成の杉原邦生さんを含め、現代の才能ともコラボしています。
猿之助 やっぱ歌舞伎のスタッフ力ですね、第1回の図夢ができたってことも、積み重ねてきた関係性があってのことだから。ホントびっくりしたんだけど、(撮影したのは)普通の(六畳ぐらいの)部屋ですよ、大道具が立ってんですよ。(それでもできたのは)みんなの心意気というかね。
幸四郎 それは無理だ、で終わりかねなかった話ですよね。
――今回の弥次喜多は深刻な感じがします。
猿之助 喜多さんはパッパラパーでいいんだけど。弥次さんの役はあんまり喜劇の要素がなかったんですよ。すっごい難しいです。哲学を語ってるからね。
――演劇全体の中でみても、新しく出てきた作品という感じがします。どんな印象ですか。
幸四郎 僕は歌舞伎のことを「音楽的要素の強い演劇」だと解釈している。もちろん受け継がれていく伝統や歴史はありますけれども、演劇として存在する場所があってこそ価値がある。いわゆる配信のドラマの中に、当然、そこに歌舞伎のソフトもあるべきだと思っています。
猿之助 コロナのようなことは二度とあってほしくないけれども、その中でこういうものも生まれた。それは文明の繰り返しを見てりゃあ、危機とかになれば、人間はどんどん新たな努力をしていくんだな。
世界の方が受ける。アマゾンが買ってくれればいい
――字幕をつけて世界配信しないのですか? いまは世界中のエンターテインメントが止まっています。
猿之助 僕は、即言ったの。これ絶対、世界の方が受けるから。それに対応する部署がないの、松竹は。ひらめいたのは、(市村)竹松君や(尾上)音蔵君は、びっくりするぐらい英語が堪能なんですよ。彼らは歌舞伎役者のセリフ回しで英語しゃべれるんだから、二人が吹き替えやったら一番いいだろう。エンドロールは世界に共通するような仕掛けを意識してるんです。ぜひやりたいです。
アマゾンが買ってくれればいい。海外の映画を日本でやるとき、題名が全然違うじゃないですか。弥次喜多も「ザ・パンデミック」って。でも眉毛はこれ(八の字)ですからね。
幸四郎 全世界に共通するストーリーの歌舞伎作品は初めてだと思いますね。
「歌舞伎に定義はない」「見たままで面白けりゃあ」
――「これが歌舞伎なの?」という演出もあります。歌舞伎の定義は。
幸四郎 歌舞伎に定義はないと僕は思います。男性だけでやってるのが定義というんであれば、もともとは出雲の阿国、女性が始めたもんですから、歌舞伎の歴史を変えなきゃいけなくなるんで。でも、「歌舞伎じゃない」「歌舞伎みたいだねえ」って言葉はあったりしますし。その辺はわかんないです。
猿之助 正直、見たままで面白けりゃあ別に、歌舞伎であっても歌舞伎でなくてもいいと思いますよ。
猿翁さんも言ってた。ちゃんと自分が初めてだって言いなさいと
――この作品を外国の人が見た場合、歌舞伎と受けとってくれると思いますか。
幸四郎 「これ歌舞伎だったの?」でいいんじゃないですか。歌舞伎なんだと思わないと、見ることができないものではないんで。
――図夢歌舞伎はオンライン演劇のなかでどう位置づけますか。
幸四郎 さまざまある配信演劇のジャンルの一つとして、その中に入りたいですね。同じ一つの芝居をやってるものとして。
猿之助 たぶん有料で、無観客じゃなくて、配信のために撮る作品って、図夢は走りじゃない? (市川)猿翁さんもよく言ってた。「初めてやったときはちゃんと、自分が初めてだって言いなさい。後で2番目ぐらいの人が『初めてだ』って言って、全部その人のものになるよ、僕はそういう経験してるから」って。
大和屋さん、後世にとってありがたい
――芸のアーカイブをつくる作業としてとらえると、とてもいいことですね。
猿之助 (後世の人たちが)それに頼りすぎるのはよくないけど、活用すべきものはした方がいいですね。それの走りは、大和屋さん(坂東玉三郎)じゃないですか。自分の作品を全部、きれいに残した。自分の芸と、いまできる最高の技術で、衣装の美しさも残したいと、多分そうだと思う、資料的な意味もおありだと思う。だからそれはね、後世にとってありがたいことだと思う。
――パンデミックという危機の中で、こうした作品を100年後に残せることになりましたね。
猿之助 やっと築けたな。
幸四郎 そう言っていただけるとありがたい。
――コロナが収束した後を展望して、抱負を聞かせてください。
幸四郎 元に戻ることはないと思ってます。もう時代が変わってしまうので、(歌舞伎を)今なくすわけにはいかないっていう思いはあります。
猿之助 防災訓練と一緒で、「あっ感染症警報になった、あしたから厳戒態勢になりました」っていったら何も焦ることもなく、ぱっと予防体制の興行にして、4部制で楽屋もソーシャルディスタンスになる。世の中全てがそうなってほしいですよね。ただ、これから転換期が始まるから、そこで歌舞伎が絶えてはいけない。そんときに、ちゃんと先人たちの荷物を全部運ぶのが僕らの世代の役目で、時代に合った荷物を取捨選択して片づけてくのは僕らの下の世代だと思うな。
図夢歌舞伎「弥次喜多」は26日から、アマゾン・プライム・ビデオでレンタル配信される。(構成・藤谷浩二、井上秀樹)