藤井フミヤが語る父の姿 謎だらけ、生活も内面も
謎のおやじでしたね。国鉄に勤めていましたが、給料をうちへ入れないんです。生活費のほとんどは美容師のお袋が出していました。でも、自転車やステレオのような大きなものを買ってくれたのは、おやじ。酒もばくちもやらないし、着るのもボロ。それなのに、退職金なんかもどこかへ消えていた。
謎といえば、子どもの頃、仏壇に知らない女性の写真があるのが不思議でね。あるときアルバムを開くと、その人のところに「妻」と書いてあってびっくり。おやじは再婚でしたが、お袋に「俺はどっちの子?」と聞いたら「ばかたれ、私の子だ」と言われた覚えがあります。
でも、本人からそういうことを聞いたことがない。だいたい自分のことを言わないし、休みに何をしているのかも分からない。よく殴られたし、怖かったですね。この前、実家の断捨離をしたら大量のカセットやビデオテープが出てきました。俺たちの出ていたラジオやテレビ番組のものでしたが、あれはきっとおやじが残してたんだろうなあ。全部捨てましたけど。
最後までデビューに反対したのがおやじで、俺か(一緒にチェッカーズのメンバーだった)弟の尚之か、どっちか残れと言われました。でも最終的には、お袋の「行かしてやらんね。2人して」という言葉に折れた。俺たちはガッツポーズ。そうやって上京させた息子たちですが、毎週のようにテレビで元気に歌っていたんだから、うれしかったんじゃないかなあ。
いま、自分の息子(フジテレビ・アナウンサーの藤井弘輝さん)の姿をテレビで見ると、「元気じゃん」と思います。うちの親もこんな気持ちだったのでしょうね。少しは親孝行ができたかな。
そうそう、謎の話ですけどね。おやじは9人きょうだいの長男でしたが、なぜか藤井家を継がなかった。負い目があったのか、きょうだいの面倒をよく見ていました。俺にはいとこがたくさんいますが、その冠婚葬祭も、本家の立派な仏壇もそうでした。結局、23年前に68歳で亡くなるまで藤井家の9人きょうだいの長男をやりきったということ。大役だったと思います。