「つらい、でも演じる」 岡田将生15周年 コロナ禍の先見つめ
デビューのきっかけは原宿でのスカウトでした。その情景が目に浮かぶほど端正な容姿に加え、独特の存在感で着実に俳優としての実績を積み上げてきた岡田将生さん、32歳。デビュー15周年の今年を締めくくる12月、テネシー・ウィリアムズの名作戯曲「ガラスの動物園」の主人公で、絶望的な閉塞(へいそく)感にもがく青年「トム」を演じます。「共鳴する部分が多くてつらい」とも感じる「トム」のこと、コロナ禍への思い、俳優という仕事への向き合い方。たっぷり語ってくれました。
つらいほどの共鳴
――「ガラスの動物園」との出会いは
2年前に出演した、記憶と追憶が軸となる上村聡史さん演出の舞台「ブラッケン・ムーア~荒地の亡霊~」の大千秋楽です。公演スタッフから「読んでみて」と「ガラスの動物園」を渡されました。テネシー・ウィリアムズは初めて。「すごくすてきだ」と感動し、「なぜ今まで読まなかったのか」と後悔した。「欲望という名の電車」など、彼の作品を探して次々読みました。
普遍的だけど心に伝わる、共感できる物語が多かった。セリフが、すごくきれいなんです。思わず口にしたくなるぐらい。すっかり夢中になったころ、「ガラスの動物園」の舞台の話を頂いた。「ブラッケン・ムーア」と同様に追憶の中で語られる芝居で、演出も同じ上村さん。普段は台本を読んでからじっくり考えるタイプですが、すぐに「やろう」と決めました。
――愛するが故にかみ合わない家族の絶望的な閉塞感に満ちた物語。回想の語り手でもあるトムは、作者テネシー・ウィリアムズの投影とも言われます
親の言葉と子どもの言葉が、互いを思い合っているのにかみ合わず食い違っていく。僕自身、それですごく傷ついたりうれしかったりした経験があります。思春期って、「家」にいることの閉塞感を、すごく感じるものだから。でも「家族」って、程度の差はあれ、そうしたものじゃないですか?だからこそ、この作品は時代も国境も超えて共感を集め、上演を重ねてきた。名作とは、そういうものだと思います。
とはいえ愛してくれる家族を切り捨てて自分の道を開くのは、言うほど簡単ではないし、人間はそんなに強くない。それがわかっているので、僕は19歳から一人暮らしを始めたのかもしれません。トムを演じると共鳴し、すごくつらい気持ちになるんです。
一方で、トムには「希望」もある。やりたいことを成し遂げるため、閉塞感から飛び出したいと願う気持ちは僕の心にもくすぶっているし、きっと誰にもあるはずです。その瞬間、その選択を、正解とするか誤りとするかは、自分自身。人生は、たとえ後悔しても自分で切り開いていかなきゃならないものだから。そんな人間的な強さがあるかと、この芝居では試されている気もします。
この奥深い物語には、僕が気づいていない重要な側面が、きっとまだまだあるでしょう。演出の上村さんと、この作品を少しずつ「解かし」、開幕までに再び固めていけたらいいなと思っています。
僕はもう、ぶれない
――コロナ禍の時代と共鳴する部分もありそうです
閉塞的な現実と共感する部分も多いと思うので、この時期にやれることはとてもうれしい。一方で、このご時世につらい芝居は見たくない、と思う人もいるかもしれません。でもこの作品は単につらいだけじゃない、未来への希望も確かにある。僕自身もトムを演じることで、息詰まるような現状から飛び出していく「何か」を見つけたい、という思いがある。見に来て下さる方々と、そんなコロナ禍の日々を経験したからこその感覚を、共有できたらと思います。
――俳優生活15年。長かったですか
あっという間だったんじゃないかな。正直、そんなに長くやってる実感はないのですが、この数年は充実を感じています。いい作品にめぐり合うには、自分自身を変えていかなきゃならない。芝居、仕事、人、すべてに言えることですが、僕は本当に運がよく、今まで出会いに恵まれてきました。その出会いを大切にすることで、確かな人間関係を築くことができるようになってきたのかな、と思っています。
カンヌ映画祭で4冠に輝いた濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」への出演は、大きな節目でした。その後に演じた作品は、お芝居の作り方とか、自分でもどこかちょっと、違うんです。「ガラスの動物園」では、回想の語り手でもあるトムがお客様に長く話し掛けるところがすごく楽しみ。出たとこ勝負の芝居でも、僕はもう、ぶれない。妙な自信がつきました。
学生時代は数学の教師になりたかった。どんな難問でも必ず導いてくれる公式があり、正しい答えが出せる数学が、一番好きだったので。でも演劇に公式などない。自分のコンディションも相手のコンディションも日々変わり、1たす1が相乗効果で何百にもなったり、逆にマイナスになってしまったり。答えが出せない、わからないから面白いと、今の僕は感じています。
人間の感情も公式では測れない。同じ言葉を言われても、受け止め方や反応は、皆違うじゃないですか。だからいろんな役柄を演じることで、僕自身、いろんな変化が可能になると思っています。
真ん中に立ち続ける
――次の15年にめざすのは
舞台もドラマも映画も、自分の中で分けてはいません。それぞれならではの芝居の仕方があり、どれもやりがいのあるものだから。コロナ禍で「エンターテインメントが必要か必要ではないか」が話題になったことがありましたが、僕はとても悲しかった。必要じゃない、と思う人もいるでしょう。でも僕はエンターテインメントが好きだし、必要。だから15年、やってきた。僕が好きなことを全力でやり、それで響いてくれる人を増やしたい。それが原動力になっている気がします。
コロナ禍ではライブで同じ空間を共有するのも難しかった。厳しい状況下の公演では、お客様も複雑な思いでいるのが舞台上からわかるんです。「それでも来てくれた。本当にありがとう」と、心の底から思いつつ演じてきました。一方で「この芝居があってよかった、救われた」と思って下さった方々も、きっといたと信じます。演劇との出会いって、本来そういうものだから。
共に心を動かし動かされ、大変なこの時期を皆さんと一緒に乗り越えていきたい。舞台に立つと、ひときわそんな思いが強くなる。伝えたいことを芝居で確かに伝えることで、お客様が気持ちよく劇場を後にし、「この時間は本当にすてきだった」と思える時間にするために。演じ続け、劇場の灯を消さぬことが、僕たちの仕事です。
――年末年始は舞台漬けになりそうですね
自分のペースでゆったり動きたい僕は、他の俳優さんより30分早く楽屋に入るようにしています。まず行うのが、掃除。もちろん、元々きれいにして下さっていますよ。それでも僕は掃除機を借り、ものを片付け、開幕前のひとときを楽屋の掃除で過ごします。
舞台公演中など忙しい時は、自分の家は散らかり放題にしていますから、特別、潔癖ってわけじゃない。でも、どの劇場にも歴史があって、楽屋には出演してきた歴代の俳優たちの思いがいっぱい、詰まっている。僕も部屋を掃除しながら、これから始まる舞台を思い、その劇場のその楽屋の、独特の空気感に自分をなじませていくんです。
千秋楽を迎えれば、通い慣れた劇場ともお別れ。「ありがとうございました」の思いを込めて、僕はいつもより少し丁寧に楽屋を掃除し、後にします。次に使う誰かのために、そして、僕自身が明日から、新たな舞台との出会いに向けて、再び歩き出すために。
次の15年が過ぎれば、40代後半。俳優をやり続けるのなら、僕は、なるべく真ん中に立っていたい。立ち続けなきゃいけない、と思っています。(西本ゆか)