ベンチャーから家業へ 渋々継いだ4代目が「暗黒時代」の会社にかけた魔法
これは、とある中小企業の事業継承のお話です。あと3年で創業100年になる洗剤メーカーが、大阪府八尾市にあります。「木村石鹸工業」。東南アジアから輸入したパーム油などの原料を大きな釜で焚(た)きあげるところから始める、そんな職人技にこだわる会社です。コロナ禍ですが業績は好調です。それは、事業継承に失敗したおよそ9年間の「暗黒の時代」があったからこそ、かもしれません。
同社は敗戦後、銭湯の浴槽をあらう業務用洗剤やクリーニング用の洗剤で売り上げを伸ばした。安全、安心なものづくりが高く評価され、生協向けの家庭用洗剤などをつくってきた。
1972年、のちに4代目となる木村祥一郎は、木村家の長男として生まれた。「おまえは後継ぎだ」と強制されるのに反発し、京都の大学に進んで一人暮らし。4年生で先輩とITベンチャーをつくり、東京暮らしを始めた。
3代目の父は、息子への継承をあきらめた。2000年ごろ、工場長を社長にすえた。だが7年後、経営方針をめぐって対立、社長は社員数人と会社を去った。
体調を崩していた父は、木村に会うため新幹線に乗るが、東京駅で倒れた。病院にかけつけた木村に、ベッドの上で「家業を助けてくれ」と頼んだ。
「ごめん。オレはベンチャーでがんばりたい」
◇
木村は、外資系の会社で社長をした経験がある知人を、父に紹介した。
不器用でも懸命にがんばる人たちを採用する。そんな町工場に外資系のやり方が持ち込まれた。生産性を追求し、すべてを会社の利益になるかならないかで判断された。ついていけない社員は去った。
ふたたび、父は息子を頼った。木村はベンチャーへの未練たらたらで大阪に戻った。20年以上近づかなかった工場に行く。家庭用洗剤が生産されていく様子を見て、感動をおぼえた。
社員に嫌われると覚悟していたら、「直系が来てくれた」と歓迎された。社員たちと個別面談をした。事業継承に2度失敗した9年間は、社員にとって「暗黒の時代」だった。
◇
最大の問題点、それはミスを許さぬ会社になったこと。営業担当の社員は木村に、こんな経験を語った。
「わたしは、『この設備投資をしたら大きな仕事がとれる』と提案しました。経営陣にOKをもらい、設備投資で大きな仕事を取れたのですが……」
その会社が外資に買収されて契約が見直され、仕事が来なくなった。経営陣から「責任をとれ」と言われ処分されたのだ。
ITベンチャーは、挑戦と失敗の繰り返しだ。父が社長をしていたときは、失敗を責めなかった。
木村は「失敗してもいいから挑戦しよう。問題が起きたら逃げずに対応しよう」と言いつづけた。
まずは自社ブランドを立ち上げた。ひとつはボディーソープなどの「SOMALI(ソマリ)」。天然の良質な“素材の固まり”、という意味がこもる。
そして、2020年2月、新型コロナの感染拡大がはじまる。
◇
手洗い、除菌で商品の需要が伸び、自粛生活で生協への加入者も増えた。受注が急増した。けれど、容器や原料は大手メーカーに回されて手に入らない。
「悔しいなあ」。木村は天を仰いだ。
ところが……。
同4月に入ると、次々に容器と原料が届いた。協力会社や地元の企業などが、「いつも良くしてくれているから」と手持ちのものを融通してくれた。社員たちが木村の知らないところで良い関係を作っていた。
ふだんは「別に」と冷めている開発担当者が、「すごいシャンプーができた」と言ってきた。こっそり開発していた。髪に悩む人向けのシャンプーとして売り出し、消費者のハートをつかんだ。
20年度決算の売り上げは、19年度に比べて9%増の約14億5千万円だった。
「社員が自主的に動いてくれたおかげ。僕は、ほんまに何もしなかった」
そう語る木村は誓う。社員と地域への感謝を忘れないと。ITベンチャーへの未練は、もうない。(編集委員・中島隆)