Presented by サッポロビール株式会社

(はじまりを歩く)ビール 北海道、新潟県 独で醸造学び、札幌を原点に

※本記事は2022年1月8日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

冷えたグラスを持ち上げれば爽やかなホップと芳しいモルトがふわりと香り、きめ細かな泡が唇をとろりと包み込む。ごくりと飲めば強い刺激がぴりりとのどを通り過ぎ、舌の上には近年はやりの「軽さ」や「マイルド」とは対極の、野性味溢(あふ)れる苦みの余韻がどっしり豊かに後を引く。

札幌市中央区の同市時計台から歩いて十数分、1876年に創業した官営ビール工場跡地に広がる複合施設サッポロファクトリー。77年発売の「札幌冷製麦酒」を今に甦(よみがえ)らせた「復刻札幌製麦酒」は、明治中期の煉瓦(れんが)造りが今なお残る「札幌開拓使麦酒醸造所」で限定醸造されている。

味わえるのは官営の開拓使麦酒醸造所時代から現在の「サッポロビール」に至る歴史を展示する、同市東区の「サッポロビール博物館」。泡の下は見慣れたクリアな黄金色ではなく、白みがかった柔らかな黄色だ。「酵母による濁りですよ」と栗原史(ふみ)博物館館長(61)。「当時の製法に忠実に、ビールに残したままだから」

原点にして現代の舌も楽しませる深い味わいを生み出したのは、中川清兵衛(1848~1916)。日本人で初めて本格的なビール造りをドイツで修めた、若き醸造技師だった。

この苦く泡立つ異国の酒は日本の酒好きとよほど相性がよいらしい。幕末には蘭学者がビール醸造を研究し、初の遣米使節団は船上で乾杯。国内でも横浜など居留地で外国人が盛んに醸した。だが本場の知識を欠く邦人にとり事業化は容易でなく、大阪の渋谷(しぶたに)庄三郎が米国人技師の指導で1872年に発売した「渋谷ビール」もなじまず9年で閉じている。

国力増強が悲願の時代。ホップが自生する北海道に開拓使を置いた明治政府が、近代国家を印象付けるビール国産化を目指したのは道理だ。醸造技術習得は急務で、清兵衛も特命を受けての渡航に違いない。銀の匙(さじ)をくわえたエリートを想像しつつ生誕地の新潟県長岡市を訪ねてみると、「中川清兵衛敬慕会」副会長、濱田明さん(66)が「ビールと無縁の密航でした」と言うから驚いた。

信濃川左岸の与板地区は河川交易で栄えた城下町。親族の商家へ養子に出された清兵衛は10代半ばで横浜へ出奔、欧州行きの船に潜んだというのだ。「養家で多額の損失を出しての家出ともいうが、真相は謎。見つかれば死罪の密航は相当な覚悟だったろう」。ドイツで家僕として働いていた25歳の時、後に外相となる留学生の青木周蔵と出会い運命の歯車が回り始める。「近代産業育成を急ぐ政府の意を知る青木は異国で生き抜く清兵衛を見込み、本場のビール造りを学んで帰国するよう勧めたのです」

清兵衛は、期待に応えた。下働きからのつらい修業に耐え75年、わずか2年2カ月で醸造技術を修めて帰国し、麦酒醸造人に。翌年には自ら設計した醸造所が開業し、暖冬による仕込みの遅れや移送中の吹きこぼれなど数多(あまた)の困難を乗り越え77年、「札幌冷製麦酒」が誕生したのだ。初醸造の貴重な酒を青木の留守宅にも届けたという清兵衛は、誰よりも彼に飲んでほしかったのだろう。

清兵衛は、期待に応えすぎたのかもしれない。異例の短期で修了し帰国してまもなく、熱により殺菌する新製法がドイツで導入されたのだ。87年着任の独人技師ポールマンは、清兵衛が悩む雑菌汚染を最新技術で一掃した。民営化を経て「札幌麦酒」となっていた会社がポールマンと契約継続を決めてほどなく、清兵衛は工場を去る。43歳になっていた。

もしも清兵衛が少しだけ凡庸で修業にもう1年かかっていれば――。運命の皮肉を感じずにいられない。ひ孫の札幌北楡(ほくゆ)病院理事長、米川元樹さん(75)は「本場仕込みの自負があるからこそ、技術が及ばねば去るしかなかったろう」と思いをはせる。

清兵衛は小樽で旅館を開くが港湾事業への出資で財を失い、晩年は子の家に身を寄せた。68歳で亡くなる間際、唇を湿した末期の水は冷たいビールだったという。「私も市販のキットでビールを醸すができる味は都度違い、いかに造り手の心を映す酒かと驚くばかり」と米川さん。「曽祖父の心には、最期までビールがあった。うまい日本のビールを飲むたびに、礎を築いた人々が燃やし続けた情熱の、激しさ深さを思うのです」

85年にキリンビール、89年にはアサヒビールの前身企業が創業、1963年にはサントリーも参入し4強時代に。一方で94年の酒税法改正は地ビールブームの契機となり、日本のビールは第二の夜明けを迎える。

 ■麦酒を深めた、先駆者の情熱

うっとり歌う金髪女性が描かれた青い缶の連なりが、空の色を映す小川のようだ。11月中旬、新潟市のエチゴビール工場ではエール酵母で醸した「エレガントブロンド」が1分間に200缶、コンベヤーを流れていた。

赤銅を思わせる色調のエールは柔らかな苦みとほのかな甘み、ふわっと広がる果実にも似た魅惑の香り。「ビールは酸化により劣化する」と工場長の佐々木正幸さん(61)。「いかに缶に空気を入れずに密閉するかが勝負だが、設備や技術力で大手との差がつきやすいのもこの点です」

94年の酒税法改正でビールの年間最低製造数量が2千キロリットルから60キロリットルに引き下げられ、高い生産能力をもつ大手でなくても免許取得が可能になった。全国に先がけ、同年12月にビールの本格製造を始めたのが新潟市の「上原酒造」だ。工場直結のパブで提供する多彩な「エチゴビール」は注目を集め、地ビールブームの火付け役となった。

だが少量多品種は個性を出せる半面コストがかさみ、販売力で劣る中小業者は価格設定が高くなる。「ブームで技術の未熟な一部業者の参入もあり、価格に見合わないイメージが広がった。発泡酒など大手の低価格路線も逆風になった」と佐々木さん。競争も激化し、上原酒造は2000年、地ビール製造部門を分社化。「エチゴビール」は同県柏崎市の製菓大手「ブルボン」の子会社になった。

現社長阿部誠さん(55)はブルボン出身の新潟生まれ。「今はクラフトビールと呼ばれる地ビールは危機を耐え抜いた各社の努力で一過性ではない評価を得つつある」と力を込める。「地平を開いたエチゴビール、明治の世に本場の麦酒文化を広めた中川清兵衛。ビールを愛する同郷人として越後のパイオニアを誇りに思う」

12年、サッポロビールは麦芽とホップと水だけのドイツ式による初の新潟限定ビールに「風味爽快ニシテ」と名付けた。清兵衛が醸した第1号ビールが初めての人にも親しまれるよう、発売時に添えた効能書き「風味爽快ニシテ健胃ノ効アリ」の一節だ。

「ビールの爽快さは明治の原点から比類ない」と佐々木さん。「もっとビールにこだわってほしい。ワインのように蘊蓄(うんちく)を語り、愛してほしい。その価値のある酒だから」。博物館で見つめる「復刻札幌製麦酒」は含んだ酵母でほのかに濁る。そのたゆたう無数に負けぬほど数多の人々の情熱が、今までもこれからも、日本のビールをたゆまず進化させ続けるのだろう。確信と共に、飲み干した。

(文・西本ゆか 写真・迫和義)

■余話

清兵衛がビールの品質向上に試行錯誤を重ねた開拓使麦酒醸造所がルーツのサッポロビール。研究開発は今も盛んで、上富良野町の北海道原料研究グループではホップの育種に取り組む。同グループリーダーの鯉江弘一朗さん(46)は、「モルトの原料の大麦は同様に群馬県のグループが研究しており、民間ビール会社で双方の育種施設をもつのは世界でも類がない」と胸を張る。

ホップはアサ科のカラハナソウ属で「アサ属の大麻草に近い種類」と鯉江さん。「独特の爽やかな苦み成分はホップにしかなく、かなり奇妙な植物。用途はほぼビールだが、欧州では鎮静などのハーブとして使われたことも。健胃をうたう明治期の宣伝文もその辺りからきたのでは」

北海道での麦酒醸造もホップの自生が契機になった。「開拓の主目的は産業育成。先人が100年かけ世界で集めたホップの品種コレクションが貴重な財産」。当初は不評だったレモングラスにも似た香りが米国での人気で再評価された「ソラチエース」をはじめ、トロピカルな「フラノマジカル」、白ワインのように香る「フラノブラン」などここで生まれた個性的なホップは多い。「まだ未解明の部分も多く、謎めいて、奥深い。ホップは可能性の宝庫です」

北海道工場(恵庭市)では道内限定「サッポロクラシック」などと共に、「サッポロ生ビール黒ラベル」も造る。「冬の暖房で暖かい室内でもうまい生、と北海道から火が付いた。道民の支持が原点でした」と工場長で札幌開拓使麦酒醸造所の社長も務める野村真弘さん(54)。「ラベルに描かれた五稜星(ごりょうせい)は時計台など当時の建物に今も残る。見れば誇りを感じます」。清兵衛のクラフトマンシップはその切り開いた道を歩む者たちに脈々と受け継がれている。

■味わう

北海道といえばジンギスカン! サッポロビール博物館隣のサッポロビール園では、当時珍しいプレミアムビールとして1967年に誕生、エビスビール復活で表舞台を去った「サッポロファイブスター」が、本場の味と共に同園限定で楽しめる。「贅沢(ぜいたく)3種のジンギスカンランチ」(税込み1950円)はショルダーと肩ロース、ロース。「火を通し過ぎぬよう。タレでもまない新鮮なラムの旨(うま)みが引き立ちます」と運営する新星苑社長の田澤宏之さん。指南通り焼き上げ、特製タレをからめた柔らかな肉と脂肪の甘みでとろけそうな口に、すかさずガツンとファイブスター、香味華やかな「SORACHI1984」の生ビール2種を、交互にグイッ……至福!

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