兄・ヒロトの中退宣言におやじは……甲本雅裕さんが語る「役者前」
連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の岡山編で、上白石萌音さん演じる主人公の父親・橘金太役だった俳優の甲本雅裕さん(56)。金太は大空襲で妻と母を亡くし、家業の和菓子屋も失います。焼け野原となった自宅跡で嗚咽(おえつ)する姿は、数日間、記者の頭から離れませんでした。甲本さんに、自身の「おやじ」や兄でミュージシャンの甲本ヒロトさんら、家族とのエピソードを語ってもらいました。
■早起きすると妖怪が?
おやじはクリーニング屋でした。
仕事場から戸を一つ挟んだら、自宅の居間だった。ご飯を食べるときもテレビを見るときも、お客さんと話をしたりアイロンをかけたりする背中をずっと見ていましたね。
子どものころは、気がつけば兄貴(甲本ヒロトさん)の後ろにくっついていた気がします。兄貴の学校の友達と遊びに行ったり、その友達の家でご飯を食べたりしていたな。
「子どもの朝寝坊が過ぎる」とおふくろが嘆いていると、おやじが兄貴と僕に言った。
「早起きをすると、家の前を妖怪が通る」。僕らは「え?」って。
その言葉に釣られて朝早くに起き、兄貴と2人で店のカウンターからずっと外を見ていました。
兄貴は大学に在学中、突然実家に帰ってきて言いました。
「俺は(大学を)辞める。今日から歌手になる」
おやじは「大学は出たらどうだ」と言ったんですけど、兄貴は「今日辞めないとだめだ」と。
おやじからしたら、兄貴を東京の大学に行かせたことは誇りだったと思う。どん底まで落ち込む姿を見ました。
僕にできるのは、大学に行くことだけだった。本当は就職するか専門学校に行きたかったんですけど。
小学1年から続けてきた剣道を生かしてスポーツ推薦を受けないかという声がかかると、おやじは妙に喜んでいた。剣道は大学4年までやりました。
卒業後は、もう剣道から離れたい。そう思って、ほど遠いイメージがある婦人服メーカーに就職しました。
■やりたいこと、やっと見つかった
サラリーマン時代、休みは日曜だけ。土曜の晩に上司に連れ回されるのに疲れまくっていました。
当時、ビデオレンタル店がはやり始めていた。ぐったりした日曜に自分だけの時間を過ごそうと思い、映画を借りるようになりました。
映画ってこんなに人を癒やしてくれるし、楽しませる力があるんだと感じた。
役者は作品によって、全然違う職業に就いている。あるときは漁師だったり、あるときは人に言えないような仕事だったり。
僕がこれから同じ仕事を続けようとする中、この人たちは疑似体験とは言え、無数に職を体験できる。
自分のやりたいことがやっと見つかった、という思いでした。
定年まで勤めるつもりでしたが、入社2年目で辞めました。
当時暮らしていた大阪のアパートを引き払う日、おやじには電話一本で「東京へ行く」とだけ伝えた。そのまま「がちゃっ」と切って、電話線も引き抜きました。おやじからしたら、何も言う間がなかったと思う。
僕からすれば、行こうとも思っていない大学に行き、しようとも思っていない就職をし、安心してくれたろって。自分の中では一区切りつけられたという思いでした。
上京後、僕はバイトを探していました。すると、劇団に所属していた同郷の(俳優)梶原善が「荷物運びを手伝ってくれない?」と声をかけてくれた。行ってみると、座長の三谷(幸喜)さんがいて「来月芝居をやるから出るか」って。それが役者になったきっかけです。
■「超えられねえな」兄貴と話します
おやじには電車の運転士になる夢があった。電車を見ると常々言ってました。「いやぁ、運転士になりたかったな」って。
でも下にきょうだいが4人いて、高校へ行かずに働いた。神戸にでっち奉公に出て技術を学び、弟たちを学校に行かせました。
叔父さんたちは正月に集まるとよく「兄貴に頭上がらねえ」って言ってましたね。
おやじの口癖は「クリーニング屋は俺の代で解散!」。大きくなるにつれ、それが「やりたいように生きろ」という意味だとわかるようになりました。
クリーニング屋をやりながら、家出や悪さをした子どもを保護する活動もやっていた。
僕が実家に帰ると、「ガキンチョ」が飯を食っていたことも。おやじは「この子が行き場を失う前に親や学校の間に立って話を聞いてやるんだ」と。
おやじは77歳で亡くなりました。あまりに突然で、頭が真っ白になった。
兄貴とは今もよく「おやじは超えられない」って話します。
「家の中で何をしても構わん。その代わり、一歩外に出て誰かに迷惑をかけたら、俺はお前を許さんぞ」
子どもの頃に言われた言葉は、自分が子育てするときの指針にもなった。
今度就職する娘にも、「テストで0点でもいい。ただ友達の邪魔をしたら、俺はお前を許さん」なんて言ってきた。いつもおやじの顔が頭に浮かんでいました。
今月公開された映画で初めて主役を演じました。主役だけを目指して役者をやってきたわけではないけど、ものすごくうれしかった。ただ単純に、その姿をおやじに見てほしかったなあ。
おふくろが「お父さんに見せたかった」って喜んでいるのを見ると、三十数年前に電話線を抜いて東京に飛び出したことが、ちょっとは償えたのかなと思います。(聞き手・安井健悟)