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島耕作さん74歳、いつまで現役続けますか? 弘兼憲史さんに尋ねた

※本記事は2022年5月28日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

人気漫画「島耕作」の新シリーズが3月に始まった。連載開始当初、課長だった島耕作は社長を経て74歳に。50年余り勤めた会社を辞め、別の会社の社外取締役になる。同い年の作者・弘兼憲史さんに聞いてみた。島耕作はいつまで現役なのですか。

「新しく仕事をするのにちょうど良い時、という意味の潮時だ」

島耕作が1970年の入社以来50年以上勤めた会社を辞めて社外取締役になる決意を語った時に、語らせた言葉だ。退職とは、新たな舞台で活躍できるチャンスでもある、という意味を込めた。

次の舞台になぜ社外取締役という仕事を選んだのか。「一般的な財界人が一線を退いた後にやる仕事は社外取締役が多い。ここは現実に即しました。それにビジネスに豊富な知見があるのに、『町内会長島耕作』というのも違う」

社長、会長編などではビジネス中心だったストーリー展開を、社外取締役編では人間関係の面白さに軸足を移す。「課長時代と違って若くないので男女のラブアフェアーみたいなものはあまり描けなくなった。そこは残念です。ただ、本人以外についてはドロドロした関係も描きますよ」

83年にシリーズが始まってから大手家電メーカーに勤める島耕作の出世物語を描き続けてきた。当初はオフィスラブをテーマにし、女性と関係をもつ描写を多く描いた。「それをずっとやっているわけにはいかないと、ビジネス漫画に変えていったことが長期連載への転換点でした」

男女関係の描き方については、昨今のジェンダー平等の観点から批判を受けることもある。

「島耕作は自ら女性に接近したり捨てたりすることはなく、全部が女性主導です。結果的にはすごいモテる男になっていますけれど。早くに離婚もしていますから自由恋愛が出来る立場なんです」

最近の連載では、女性を社長に据えたり、ゲイの秘書を描いたりして、ダイバーシティーやLGBTQ(性的少数者)といったマイノリティーを取り上げることにも力を入れている。

連載40年、自分が描けなくなった時は…

早稲田大で漫画研究会に所属。卒業後は大手家電メーカーで宣伝の仕事に携わっていたが、かねて志していた漫画家をめざして脱サラした。

日本経済が右肩上がりの時代。漫画の売り上げも伸びていた。「良い時代でした。ただ漫画家という職業をどれだけ続けられるか不安だった。一生懸命でした」

最も多かった時には月に170~180ページを描いていた。今は月70ページほど。「それくらいならゴルフをする時間もできる」と笑う。

それでも仕事への熱意は衰えていない、という。「好奇心でしょうね。新しい世界を取材すると、業界の問題点がわかる。それを読者と分かち合いたい。そして、70歳でも読める漫画を描きたい」

いま、漫画家の世界を見渡すと団塊の世代の自分が最も上の世代になった。同級生には、亡くなった人も病気がちの人もいる。個人差はある。けれども、年を取っても元気なうちは働けるんだ、というエールは送り続けたいと思う。

島耕作シリーズは今年で40年目になる。どこまで続けるのか。

「連載を終えるのは自分が描けなくなった時です。その時はパタッと人生を終えるような、そんな終わり方をするかもしれません」
(江口英佑)

弘兼憲史さん 1983年に週刊漫画誌「モーニング」で連載を始めた「課長島耕作」シリーズは講談社漫画賞を受賞。代表作に「人間交差点」「黄昏(たそがれ)流星群」など。妻は漫画家の柴門ふみさん。趣味はゴルフで平均スコアは90台前半。

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