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藤井七段、師匠・杉本昌隆さんとのエピソード 師弟昇級の失敗後「くくくっ」

※本記事は2019年2月16日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

藤井七段、なぜ強い

将棋の藤井聡太七段(16)が16日、第12回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)で優勝し、2連覇を達成した。

なぜ、強いのか。

幼少期から大好きで取り組んだ「詰将棋」と、その結果、養われた「終盤力」が彼の将棋の土台になっているのは明らかだろう。

また、プロ棋士養成機関「奨励会(しょうれいかい)」の最終関門、三段リーグに挑むころから活用し始めたAI(人工知能)の影響がプラスに作用しているのも間違いなさそうだ。

でも、本当のところは、分からない。彼自身、自分の強さの理由を説明できるのだろうか(何事にも謙虚な彼が、そんなことを得意げに語るはずもないのだが)。

2017年9月以降、大阪で行われた藤井さんのすべての対局を取材してきた私が、いまあらためて思うのは「藤井七段は、良い人と良いタイミングで出会っている」ということだ。

そして、その最たる例が、師匠である杉本昌隆七段(50)との出会いだと思う。将棋界では「藤井さんの師匠が杉本さんで、本当に良かった」という声を、よく耳にする。私も、そう思う。(ただし、謙虚な杉本さんは「師匠が私でなくても、藤井は藤井です」と言うかもしれないけれど。)テレビのワイドショーでコメンテーターが「藤井さんだけでなく、お師匠さんも応援したくなる」と発言する場面も何度か見た。

ということで、これまで私が見た師弟の姿を、いくつか、ご紹介したい。

第20回朝日オープン将棋選手権の決勝五番勝負第2局に臨む杉本昌隆・当時六段(右)。左は堀口一史座・当時五段=2002年4月4日、大阪市北区の料亭「芝苑」

杉本七段の「宝物」

「練習将棋を見に来ませんか」

こう杉本さんに誘われたのは、2014年の暮れのことだった。名古屋市にある杉本さんの部屋で、杉本さんのお弟子さんが、豊島将之七段(当時)と練習対局をするという。

杉本さんと私は、2002年に杉本さんが六段時代に第20回朝日オープン将棋選手権(朝日新聞社主催)の決勝五番勝負に登場した時からの付き合いだ。私は、朝日新聞大阪本社で将棋を担当するようになったばかりだった。

杉本さんが通っていたスポーツジムの管理栄養士さんが朝日新聞の読者で、杉本さんの活躍を朝日新聞の記事で読んでいた。それがきっかけで会話が弾んだという。2人はその後、結婚した。そんな縁もあって、義理堅い杉本さんが「朝日新聞のおかげです」と持ち上げてくれたりして、長い付き合いになった。だが、練習将棋の見学に誘われたのは初めてだった。

「なにか、ある」。すぐに気付き、お邪魔させていただくことにした。ただ、杉本さんの好意の本当の意味を得心したのは、ずっと後のことだった。

そのお弟子さんが、まだ小学6年の藤井聡太さんだった。奨励会の初段時代。二段、三段、そしてプロ棋士と認められる四段へと駆け上がる、直前だった。

「プロになる前の藤井少年の写真、しかもトップ棋士になるだろう豊島さんとの練習将棋の写真は、貴重になるに違いない」。杉本さんはそう思って、だが、そうとは言わずに、誘ってくれたのだった。

自分が大切に思う「宝物」を、そっと見せてくれた。今では、そう思う。そして、「この子は、たいした存在になる」と確信し続けていた「見る目」の確かさ、弟子のために練習将棋のセッティングをした愛情の深さに驚くばかりだ。

藤井聡太初段(右)と豊島将之・当時七段(左)の練習将棋を見守る杉本昌隆七段(中央)=2014年12月29日、名古屋市、佐藤圭司撮影

何年かしたら本当に有名

次は、2015年4月22日の夜のこと。

羽生善治名人(当時)に行方尚史八段が挑戦した第73期将棋名人戦七番勝負の第2局が岐阜県高山市で指され、私は観戦記担当の記者、杉本さんは解説者として現地にいた。1日目が終わり、関係者が一緒に夕食をとっていた時、詰将棋を解く速度と正確さを競う「詰将棋解答選手権」で初優勝した藤井さんのことが話題になった。

行方さんが「いま我々の業界では有望視されています」と言うと、そばにいた杉本さんは「今は業界で有名。何年かしたら本当に有名」と言った。

私は驚いた。杉本さんは、自分や身内には厳しいタイプ。「自分の弟子をほめるなんて、杉本さんらしくないな」と記憶に残った。

私は観戦記で、「万事控えめな杉本七段がここまで言うのは尋常でない。この春に中学生になったばかり。将来楽しみな大器だ」と書いた。

藤井さんがプロ棋士と認められる四段に昇段したのは2016年10月1日付だから、杉本さんの言葉どおりの「本当に有名」な状態は、この夜から1年半ほどすると、実際に起き始めたのだった。

今回、第12回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の準決勝で藤井さんと対戦した行方さんが、このエピソードに名人挑戦者として登場することにも縁を感じる。

南芳一・九段との激戦を制し、感想戦を終える直前の藤井聡太五段(手前)。次に対局する師匠の杉本昌隆七段(奥)が、そっと見守っていた=2018年2月5日、大阪市の関西将棋会館、佐藤圭司撮影

そっと抱きかかえた師匠

続いては、2018年2月5日。同2月1日に五段に昇段したばかりの藤井さんが、南芳一・九段と大阪・関西将棋会館で対戦した。この対局の勝者が、杉本さんと対戦するというシチュエーションだった。

午前10時に始まった対局は、持ち時間各3時間で、夕方ごろ終局見込みだったが、なかなか終わらない。早い段階で大苦戦に陥った藤井さんが、徹底的に粘ったからだ。

終局したのは午後7時2分。230手という、大変な長手数だった。藤井さんの大逆転勝ち。

この日、杉本さんは私用で関西将棋会館に来ていた。私服姿の杉本さんが、心配そうに、ふすまのかげから、終局後の藤井さんを見守っていた姿を、私は思わず写真に収めた。

持ち時間を使い切って、1手1分未満で着手しないといけない「1分将棋」を延々と続け、疲れ果てた藤井さんを、帰り際、杉本さんが優しく支えるようにしていた場面も覚えている。

「師弟戦が実現したら、どんなに師匠が喜ぶか知っていた弟子が、奮戦。そんな弟子の思いを、疲れた身体ごと師匠が、そっと抱きかかえた」──。そう、私は理解している。

「藤井さんの名局は、どれだと思いますか」。そんな質問が耳に入るたび、私は、この将棋を思い出す。師弟のドラマが、こもってみえるからだ。

第77期将棋名人戦・C級1組順位戦で、師弟同時昇級もかかった対局に和服姿で臨んだ杉本昌隆七段=2019年2月5日、大阪市の関西将棋会館

負けても楽しそうに

今年に入って、2019年2月6日未明。第77期将棋名人戦・C級1組順位戦で、「師弟がそろって勝てば、32期ぶりの師弟同時昇級」と注目された2月5日の対局が終わった後のことだ。

師弟はそろって敗れた後、その日指された十数局の公式戦を、一緒に振り返っていた。杉本さんがパソコンに向かい、局面を進め、感想を述べると、藤井さんが、楽しそうに合いの手を入れ、「くくくっ」という感じで、笑いさざめいていた。杉本さんは、ちょっと肩をいからせ、そこに、かすかに悔しさを感じさせたが、藤井さんは朗らかに、ただ朗らかに、笑い続けていた。

「リーグ戦は、最後、終わるところまでが勝負。最終的に昇級するかどうかで評価されるべきで、途中経過に意味は無い」というのが、昔から何度も取材で聞かせてもらった杉本さんの持論だ。奨励会の最終関門、三段リーグに挑む弟子に、持論を伝えた、と聞いたこともあった。

師弟は、もう、3月5日のC級1組順位戦の最終戦に向かっているのだ、と思った。過ぎてしまったことを思い悩む無意味さを体で覚えた勝負師ならではの、切り替えの早さと思った。

この日、勝てば昇級という大事な対局に、杉本さんは和服姿で臨んだ。2002年に朝日オープン将棋選手権の決勝五番勝負で着用した和服で、「たしか、静岡県での対局で着たはずです」と杉本さん。その五番勝負で杉本さんは先勝したものの、その後、3連敗して準優勝だった。いま、50歳になった杉本さんが若手強豪と昇級争いを繰り広げる姿に、勇気をもらったファンも多いのではないか。

もう一つ言えば、藤井さんは、報道陣に師弟同時昇級のことを聞かれるたび、「自分は自分の対局に集中したい」と答え続けてきた。もしも、私が彼の立場なら「ぜひ師匠と一緒に昇級したい」と言ってしまう気がする。藤井さんの同じ趣旨の答えを何度か聞くうちに、藤井さんは師匠に余計なプレッシャーをかけたくないと思って、あえて素っ気ない感じの受け答えに終始したのではないか、と思い至った。もちろん、推測でしかないけれど、この、心優しい師弟なら有り得る気がするのだ。

第12回朝日杯将棋オープン戦で優勝し、朝日杯2連覇を果たした藤井聡太七段(右)と、祝福する師匠の杉本昌隆七段(左)=16日、東京都千代田区の有楽町朝日ホール、佐藤圭司撮影

公開対局の会場へ、そっと

そして今日、2019年2月16日。藤井さんが朝日杯での連覇を達成した瞬間を、杉本さんは公開対局の会場で見守っていた。ゲストとして大盤解説会でマイクを握った後、控室で対局の推移を検討していたが、終盤になり、ふと、部屋を出たので、後を追った。公開対局の会場へ、そっと入っていく。弟子が優勝する場面を見たいのだ、と思った。

しばらくして、藤井さんが勝ち切って、杉本さんの願いはかなった。弟子の勝利を見届けた師匠は、しばらくすると控室に引き揚げた。追いかけて、感想を聞いた。

「よく、やってくれました」。そう弟子を褒めた後、杉本さんは「賞金、何に使うんでしょうかね?」と言って、ニヤッと笑った。



こんなドラマを追い続けていきたい、と思っている。(佐藤圭司)

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