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「快感原則」の果て、ニッポンの若者は 藤原新也さん

※本記事は2015年6月11日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

若者や子どもがわからない。そんな戸惑いと不安が広がっている。陰惨な事件は後を絶たず、閉じたコミュニケーションも世代の壁を厚くするばかりだ。背景に、経済至上主義と管理社会という戦後日本の病巣があると早くから指摘し、若者の生態をルポしてきた藤原新也さんは、そうしたゆがみは極限に達していると語る。

──今年2月に川崎市の河川敷で中学生が殺された事件など、最近また、若者や子どもがらみの事件に注目が集まっています。

「集団でのなぶり殺しという、若者のはらむ狂気のすさまじさに衝撃を受けたんだろう。一方で気になるのは、友達にタリウムを飲ませたとか、通行人に硫酸をかけたとか、単独犯の訳のわからない事件が散発していること」

「街を歩くと、都会も地方も一見、平穏だ。かつて大人が眉をひそめた、暴走族やヤンキー、ヤマンバといった身体表現は消えつつあるし、コンビニ前にたむろする子も少ない。皆、『普通の子』なんだ。こんな不気味な静けさに包まれた若者たちの生態を、僕はステルス(不可視)化と呼んでいる」

「LINEなどSNSを使い、顔文字の架空の交流に慣れた彼らは、他者が不在。ネット空間からOFF(現実)世界に転換して身体接触すると、時にとんでもない暴発が起こる」

──藤原さんが若者の犯罪に注目したのは1980年、同じ川崎市で起きた、予備校生による金属バット両親殺害事件でしたね。

「大学を中退して69年にインドへ出かけ、アジアを巡って帰国した後、最初に撮りたいと思ったのが、この事件だった。いい学校から大企業に入り、高級住宅地の一戸建てを手にいれる。戦後、日本人の目指してきた、まさに『すごろくの上がり』のようなエリート家庭が音を立てて崩壊したわけでしょう。僕は学歴社会と物質的な豊かさという二重の幻想を抱いてきた社会に、唾(つば)を吐きかけた」

──事件を「身体の反乱」と呼びました。

 「もっとリアリティーの感じられる生き方がしたい。体の内側から発した異議申し立てだよね。僕自身の日本脱出も、このままじゃやばい、というざわめきに促されていたから、腑(ふ)に落ちた。工業社会に移り、さらに情報化社会へ向かい始めた60年代以降、文明が身体をネグレクト(置き去り)していくことに、若者の危機感が世界的に高まっていたんです」

「で、インドにたどり着いた僕は、ノックアウトされ続けるわけ。自由・平等・民主主義という欧米発の正しさを疑わなかったのが、たとえばカーストには、排斥された人々に職業を与える『救い』の機能もあると知る。死を隠さず、ぼんぼん焼いて見せる文化も日本と逆だ。人間の命なんて虫けらと同じ。全然重くない」

「自分の常識がそうやって負け続ける過程で、快適さを求めて生活の中のとげや毒を消していく『快感原則』社会とは別の価値観が、日本でも力をもつだろうと予感した。帰国して横浜の新興住宅地に住んだら、居心地悪くてね。こぎれいだけどバーチャルで空疎。そう思っていたら数年後、事件が起きた」

藤原新也さん=東京・新宿、時津剛撮影



──バブルの80年代の空気を「仮面(ペルソナ)」と呼び、その後、再び若者に着目するのは90年代後半。なぜ若者にこだわったのですか。

「時代の行く末が見え、社会的な写真の撮影をやめようとしていたころ、社会性とは別の“救い”のある世界を表現したいと思った。そうしたら、ちょうど郷里の北九州で、10代後半の少女の写真展を頼まれた。でも現実の少女たちは、そんなに甘くなかった」

「僕が面接して選んだ十数人は、同調圧力の下で空気を読んで過ごす多数派とは違った。外れ者ゆえに、いじめや不登校、ひきこもり、親との軋轢(あつれき)も抱えていた。10代後半の少女という身体は時代を映す鏡だから、結局また時代の泥沼に足をとられることになって。特に母娘の確執は根が深く、事情を聴くうち、これは企業社会が進み、母親だけに育児負担がかかる時代の病だ、と直観した」

──コギャルが集まる東京・渋谷では、街を歩き、風俗店まで追いかけて、少女たちと話した。素顔に迫るのは難しかったのでは?

「いや、好奇心が強くあって、ちゃんと向き合い深入りしようとしたから、壁は感じなかったな」

「僕も若い頃は孤独だった。危ない仕事を転々としながら、このまま埋没したくないと思い、世間への軽蔑や不安を抱きしめて生きていた。19歳のとき靴磨きで働き、世の中を地べたからじーっと眺めていたんだけど、地べたって、人間の視点としては一番下なのよ。だから通りに座っている子たちの目に、世界がどう映っているか、わかる気がした」

「センター街へ行くと、僕自身がほっとしたことも大きいね。ノイズが充満した街では、ノイズが相殺しあい逆に静寂に浸れるんだ。匿名になる自由。親とケンカして家を出てきた子たちも、群衆の中で癒やされていたんだろう」

──若者はある意味、戦後日本社会の被害者だとする見立ては、いまも正しいと思いますか。

「そう思わざるをえない。欲しいものがすぐ手に入るコンビニやSNSのような、快感原則で埋め尽くされた社会は加速するばかり。実際、子どもはどんどん狂ってきているでしょう? この環境で正常でいられるほうが難しい」

「先進国の中でも日本は商業主義が強い。宣伝広告は明るさや楽しさだけを強調し、人間の暗さや弱さや死を覆い隠す。最近のポップスの歌詞の基調が『頑張ろう』なのもそうだけど、いまの子たちは過剰な前向きさで上り詰めていく、『正のスパイラル』状態。ストレスもたまるさ」

藤原新也さん=東京・新宿、時津剛撮影



──若者の切実さに寄り添う一方、尊重しすぎるな、とクギもさします。矛盾ではないのですか。

「最近、マスメディアで子どもの『さん』づけが増えたよね。呼び捨てや『君』『ちゃん』だと、上から目線だ、との批判があるらしい。でも、年が違い人生経験も違うのに、同じ目線になんてなれっこないだろ? 上から目線は、大人がきちんと責任をもつということ。さん付けすれば対等で尊重してますなんて、まやかしにすぎない。大人の責任放棄なんだよ」

「背景には、親子、夫婦もお友達です、みたいな団塊世代の風景があると思う。それから、過保護なまでの安全志向と暴力否定という、戦後左翼的な思潮。戦争という大暴力のトラウマで、方向性自体は全く正しかったんだけど、それが生活の日常シーンにまで浸透していった先に、ぶつかり合いを避け当たらずさわらず済ませる、今日の悪(あ)しき風潮がある」

──若者に未来を託せますか。

「『失われた20年』といわれるバブル崩壊後、若い子たちの間に新しい価値観が芽生えてきたと感じる。会社より個人生活を重んじ、人や自然とのつながりを信じる、そんな『対岸の価値』への志向。貧しさから経済戦争へ突入していった、戦後の風景に背を向けることができると期待している。最近、沖縄・辺野古に行ったら基地建設反対運動に若者が少し増えたと聞いた。脱原発運動も、熱心な若者の姿がある」

──最近の若者ほど保守化しているとも聞きますが?

「多数派の若者は抜け殻の大バカ者連中です。奴隷制度に近い雇用の中、昔なら左傾化したはずが逆に右傾化している。東日本大震災後、結婚願望が増したように、不安が高まる中、寄らば大樹の陰で、まったりしたいんだろう。昨年、香港の雨傘運動の取材から帰国した足で渋谷へ行ったら、ハロウィーンの仮装ですごい騒ぎ。この差は何だ? と考えこんだよ」

「70年安保以降、若者に社会的発言や政治参加をさせないよう、あらゆる方向から手足をもいでいく空気ができあがった。そのソフトな管理社会の完成形が、現在だろう。少し前の秋葉原無差別殺傷事件で、若者の怒りが、派遣労働という差別構造を敷いた権力側に向かわなかったのが象徴的だ」

──絶望的になりませんか。

「期待するね。たとえば海の魚は種類ごとの棚に棲(す)み分けるけど、ときどきストレスをためた変な魚が別の棚に泳ぎ込むと、一気にバリアーが崩れて魚種の違う大群になるんだ。そんな変な魚になって、世界をぱっとつなげていくのが僕ら表現者の役割。恐れず行き来すれば、異種のマグマに満ちたコミュニケーションが生まれる。そうなると怖い、と思うよ」

藤原新也さん=東京・新宿、時津剛撮影

取材を終えて

静かな語りの中に、熱がたぎっていた。若者の現状への憂慮、際限ない欲望を喚起する経済社会への懸念だけではない。見たくないものを覆い隠すこの国の文化と、無責任体質への憤り。アジアの旅で「世界の虚偽」を見た若き日の感受性は、71歳のいまも変わりないようだ。一方で、「高度成長を支えた猛烈サラリーマンにはかなわない」とも。がむしゃらに生きるしかなかった時代の、ほろ苦さを受けとめる。こんな柔らかさと思いの深さが、地べたに座る少女たちの心を開かせたに違いない。(聞き手・藤生京子)



ふじわら・しんや 写真家・作家。1944年生まれ。東京芸大中退。著書に「印度放浪」「東京漂流」「渋谷」など。写真集に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」が収められた「メメント・モリ」など。木村伊兵衛賞など受賞。

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