光秀役の長谷川博己「戦国は興奮する。早起きになった」
とことん調べたが、捨ててしまった。俳優、長谷川博己(42)はそう話す。
19日に始まるNHKの大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」、主人公の戦国武将、明智光秀を演じる。実在の人物を演じるときの習慣で、光秀に関する史料や文献をあさったが、調べれば調べるほど、謎は深まるばかりだったという。捨てたあと、見えてきた光秀像とは。
言うときは言う、今の時代に必要
──光秀役をオファーされた感想は。
「すごく面白い題材を主役にしたっていうのが、僕の中ではものすごく興奮していて。楽しみだなと思っていました。戦国大河だが、昔のような王道でありながら、新しさもある。同時代性も感じられるような作品になっているんじゃないかと思っています」
──池端俊策さんの脚本の光秀の印象は。
「光秀はとにかく黙っているんですね。『てんてんてん(…)』が、すごく多い。斎藤道三に何かむちゃなことを言われても、『…』。(道三の娘の)帰蝶に何か言われても、『…』。そこを僕は埋めなきゃいけないので。楽しくもあるんですが、すごく難しいです。ただ、池端先生もおっしゃっていたけど、『本能寺の変を起こした明智光秀から逆算して考えないでくれ』という話なんですね。普通の一人の青年として、物語は始まります」
──さきほど「同時代性」という言葉があった。現代人が共感できるような部分もあるのでしょうか。
「光秀は、今の時代にもしかしたら必要な、新しいヒーローなのかな。でもヒーローって言うとちょっと、違和感を感じる人もいらっしゃるかと思うんですけど。ただやっぱり、そういう部分があるんじゃないかな。上の人に、上司に対して、ズバッと正直なことを、言うときは言う。知性で決めていくというか。知性と品性で突き進むっていうのが。今の世の中にこういう人がいたらいいなって思うような人物、という気がしている。そういうつもりで、演じている」
──そういう為政者がいたらいい、と。
「やっぱりそれって、なかなかできないことですよね? 『忖度(そんたく)』っていう言葉がありますけど。バランス良く考えて、ちゃんと述べられる人というのが、今いたらいいのになと、思っています」
調べ尽くして無になる
──池端さんと2016年に組んだドラマ「夏目漱石の妻」で漱石を演じたときには、漱石を丹念に調べ上げていました。今回も同じようなアプローチをしたのですか。
「いろんな史料や本は読んだりした。夏目漱石のときのように、ある意味でそういうリサーチは本当にたくさんやったんですが、調べれば調べるほど、本当にわからないんですね。色んな人が色んなことを言っていて、本当にわからなくなった。なので撮影に入るときは、基本的には(調べたことは)現場には持ち込まずに、なるべく池端さんの本の中の光秀をやっていこうと。でも最初はやっぱり、どうしても逆算してしまうところがあって。『光秀はこういう人間だろう』と。『こういう人間なのに、こういうことを言うんですかね?』って思うこともあった。でもそれは忘れて、もう一切考えないで、無の状態で。もちろん調べたことが血肉にはなっていると思うんですよ。でもそういうのを忘れて。『麒麟がくる』という作品の中での明智像をつくりたいな、という気持ちで臨んでいます」
──徹底的にリサーチするスタイルは、文学座に所属していたころに確立したのですか。
「まあそれもそうですけど、基本的にそういうのを調べるのが好きなんですよ。自分の都合のいいように解釈しますからね。『こういう風に演じたい』というものがあったら、それに似たようなことを書いている人がいないかと探している部分もある。そういう場合もあれば、『こういう一面もあったんだ』『こんなところもあったんだ』と、着想を得ることもある。ヒントになるものは、なるべく知りたいなと思っています」
──調べれば調べるほど、自分が調べたことにとらわれてしまいそうだが、案外ばっさり捨てるんですね。
「そこにこだわると、池端先生が作った本と、絶対にどこかで違うとなってしまう。こっちが『こうだ』と思って入ってしまうと、違和感が絶対にでてくると思うので。そういうところはバッサリ切って、なるべく無の状態でいくっていう感じですかね」
毒の中に魅力が
─漱石のほか、連続テレビ小説「まんぷく」の萬平や「MOZU」の東など、長谷川さんの役はいつも、実直さの中に狂気があると感じています。意識的に出しているのでしょうか。
「やっぱ人間みんな、そういうところがありますよね? 人の持っている毒が、絶対にみんなあるわけじゃないですか。それを出さない人もいるけど、やっぱりその辺が出ている人の方が、僕は魅力的に見えるんですよね。ずっと殻をかぶっているというか、猫をかぶっているというか、そういう人って、自分としては魅力がなくて。『ダメな部分』とかが見えた方が、親近感がわいたりしますよね」
──光秀もそういうところがある?
「当然、みんなあると思いますよ。特に戦国、池端さんが書かれている武将たちは、みんなキャラクターが濃いんですよ。みんながそういう面を持っていて、余計にそれが出ていたと思いますよ、当時は。それがないと、生きていけないでしょうけど」
──今作での光秀役へのアプローチの仕方は、これまでの出演作と似ているのか、異なるのか。
「今までのやり方とは、変わっていないと思います。根本的には。これだけ50話近くあって長いですが、大河ドラマでもやっぱり連続ドラマですから。1話から50話まで、最初から全部出来ているかと言われたら、そういうわけじゃない。その都度、その都度、どうとでもいけるように。自分の体は空っぽにしていくという感じですかね。そこにどんどん、どんどん、容器の中に入れていったとしても、こういう風になるなら減らしてみようとか、今度はこっちを入れてみようとか。そういう感じでやっていくというのは、連ドラの作り方っていうのは一緒ですね」
──これまでも大河ドラマに出演されてきたと思うが、主演ということで見えてきた風景はありますか。
「僕は座長らしいことはできなくて。やっぱり基本的に、その役に入り込みたいタイプなので、そのこと以外はあまり考えたくないですね。正直言うと。ただ主役というのは、周りが好き勝手にやっているのを受けて、それをこなしていくというか。周りにボールを渡して、もらったボールをまた違う人に渡していくというか。それを流れるようにやるというか。主役から見る景色というのは、なかなか気分がいいですね」
──大河の撮影にあたり、生活に変化は。
「めちゃくちゃ早起きになりましたね。なんか、興奮するんですよ。やっぱ戦国時代って。色んなことが起きるもので。ちょっと自律神経が乱れているのかなっていう感じがしていて。俺ももう40を超えたからなのかな。最近は朝目覚めるのが早いですね。朝日を狙ったロケとかだと、2時半起きとかもある。そういうのが続くこともあって、早起きの習慣がついた。あんまり朝に強くなかったというか、苦手だったが、それができるようになったのは不思議。そういう意味では、当時の人間みたいに、ちょっと武将らしくなってきているのかな……」
(合同インタビューと個別インタビューを元に構成しました)(真野啓太)