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【人生の贈りもの】役者・樹木希林(3) 飯盛りあくび、リアルな芝居

※本記事は2018年5月8日から2018年5月25日に朝日新聞デジタルで公開された連載を再編集しています。

先日、中村敦夫さんに会った時にね、「木枯し紋次郎」に、私が宿屋の女中役で出た時の話をしてくれたんです。私は忘れていたけど、中村さんが言うには、私がご飯を盛りながら、あくびをしたんだそうです。「変わった演技をするな」と感じたんだって。

その話を聞いて「なかなかうまい芝居をしてたのね」と思ったわけ。そういうことを平気で言うから、みんなにあきれられるんだけどね。白塗りの二枚目の芝居じゃないんだから、人間なら、飯を盛りながらでも、眠けりゃ、あくびをすることもある。日常ってそういうものでしょ。

日常の何でもないことを描くのがホームドラマなのよ。普段から人間を観察して芝居に生かす。そのことを私は森繁久彌さんから学びました。いろいろな人を見てるとね、いろいろと意外な動きをするじゃない? それをね、私の肉体を通して表現するのが面白くなってきちゃった。

森繁さんがそういう芝居をするから、私もね、「じゃあこんな芝居で返そう」となるでしょ。すると、森繁さんが「ちょっと、あーた、それ、やりましょう」と乗ってくれる。森繁さんとの掛け合いが人気になって、出演シーンがどんどん増えていきました。

ただね、シーンが増えてもギャラは変わらないのよ。なのに撮影が夜中までかかったりする。もうくたびれちゃって。続編が決まった時、森繁さんが「あの子が出るなら」と言って下さったのに「私、出ません」と断ったのよ。

そうしたら、TBSの局長が菓子折りを持って文学座に飛んできた。「続編もどうかお願いします」と頭を下げてね。前作は、1本のギャラが5千円。税金と文学座に4割持っていかれて、私の手取りは3千円。月4本とすると1万2千円よね。私の知る大卒初任給が1万2千円だった。「労働時間を考えると、割に合わない」と思ったの。

局長は「分かりました。では出演料を100%アップします」と言いました。ちなみに森繁さんは50%アップ。すぐ私は出演を承諾しました。

そごう・西武の「アドバンストモード」では、アイコンモデルを務めたことも

森繁さんよりギャラアップ!?

「七人の孫」の続編で、私のギャラは100%アップの1本1万円に。主演の森繁久彌さんは50%アップ。単純に喜んだ私も頭が悪いわねえ。森繁さんは前作が1本80万円だったのよ。だから続編は120万円。落ち込んだわ。作品の中身は忘れてもギャラのことは覚えているものね。

ただ、これは森繁さんがいかにすごい人だったかという証しね。映画界のスターをテレビにお迎えしたわけだから当然の額ですよ。その作品にたまたま出演することになって、私はとても幸運でした。

──「七人の孫」の“森繁学校”には、樹木さん以外に、駆け出しの才人が、あと2人いた。演出家の久世光彦(くぜてるひこ)さんと脚本家の向田邦子さん。この3人は、1970年代に入り、銭湯が舞台の「時間ですよ」と石屋が舞台の「寺内貫太郎一家」で、ホームドラマの先頭走者となった──。

「時間ですよ」は、久世さんと向田さんがぺーぺーの次くらいでスタッフに入っていました。銭湯の従業員として堺正章と私、川口晶(のちに浅田美代子)が配役されました。久世さんが「七人の孫」で見たような変わった芝居をやりたくて、3人を半ば強引に推したんだと思うんです。

森光子さんらメインの芝居はオーソドックスだけど、CMの前になると、久世さんが「ここは3人のコントで」って言うんです。それでCM明けまで視聴者を引っ張った。でも、ただのコントじゃないの。前後のつながりを考えながら、ドラマに沿って作っていく。そこで、台本を読む訓練を自然に積めましたね。

「今からギャグをやりますよ」という雰囲気を出すと、見る方は笑えないことを、久世さんから教わりました。茶碗(ちゃわん)によそったご飯を、中身だけポーンと投げ、別の人がそれを茶碗で受けるギャグがあったでしょ。久世さんはその時に「投げようとして投げるな」と言うの。銭湯の従業員は何か別のことをしながら慌ただしくご飯を食べている。そういう気持ちと結びついてこそのギャグなんだ、と。
(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

<<樹木希林さんの連載・第四回はこちら>>

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