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【人生の贈りもの】役者・樹木希林(5) 夫と45年別居、あの世では同居?

※本記事は2018年5月8日から2018年5月25日に朝日新聞デジタルで公開された連載を再編集しています。

「時間ですよ」に堺正章が出演していたので、ザ・スパイダースの仲間だったかまやつひろしさんが撮影現場に遊びに来たの。その時に一緒にいたのが内田だった。何だか真面目そうな人だなと思ったのよ。出会いは普通よね。

──1973年、樹木さんはロック歌手の内田裕也さんと結婚。現在に至っている──。

ただ、一緒に暮らしていたのは3カ月もない。それで十分よ。向こうもそう思っているわね。45年も別居してるんだから、離婚してもいいんだけど、私にとっては、ああいう重しがいることで助かっている部分もあるのよ。私も、向こうがどんな女性と暮らしていようが文句言わないから都合がいいんじゃないの。

この年齢で一緒に住んでいたら老老介護でしょ。私は自分のことで精いっぱいだから無理ね。「オイッ、車椅子」「オイッ、杖ッ」とか言われてもね。「どうぞご自分でおやり下さい」って感じよね。まあ、私は、どんな穏やかな人と一緒になっても、やっていけないと思うんだけどね。

夫婦だからね、書類に判子をもらったりしなきゃいけないから、時々会うんですよ。そしたらね、話がたまってるから、両方でしゃべっちゃうわけ。「俺に話させろ」「私に言わせて」って。話がかみ合ってる間はいいけど、お互いカッとなる性格でしょ。せいぜい2時間が限度だわね。

死んだら私も内田家の墓に入ります。私が買った墓だからね。あの世では同居? そうね。でも、骨だから。しゃべることはないから。ムカッとはしないでしょう。お互い相手が先に逝くと思ってるけど、娘は「出来ればお父さんが先の方がいい」と言ってるわね。「どう付き合っていいか分からない」って。

娘はね、おかげさまで、真っ当にものを考えられる子に育ちました。久世ドラマでよく共演していた由利徹さんが「あんたと裕也の子だろ? 何であんな子が出来たんだ」と、よく不思議がっていました。でも、孫の代までは分からないわよ。内田によく似たのが一人いるのよね(笑)。

「ロックンロール!」の夫が…

夫がいないから、子育て中は本当に忙しかった。すべて中腰でやってた気がします。とりあえずご飯だけは食べさせたって感じ。あまり忙しいので、娘の前で愚痴を言ってる暇もなかった。しつけも大してしてないけど、娘が常識のある人間になったのは愚痴を聞かせなかったからかな。

──娘の也哉子(ややこ)さんは19歳で俳優の本木雅弘さんと結婚。おしどり夫婦で知られる──。

娘から「結婚を前提に付き合ってほしいと言われた」と相談されたので「婿養子に来てくれる人がありがたい」とだけ答えました。「それはOK。でも学校はどうしよう」と聞くから、「勉強なんて、いつでも出来るわよ。でも結婚は、してくれる人がいないと出来ないのよ」と言いました。親とは全く違う夫婦になってよかったわね。

──映画に軸足を移して初の作品「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2007年)で、樹木さんの若い頃を也哉子さんが演じた──。

撮影現場で、いかにスタッフが母親に手を焼いているかが分かったんじゃないかしら(笑)。演技については口出ししませんでした。「台本読んで、感じたままやれば?」と。自分とは資質が違うんだから、口を出すとかえって悪くなることもあるのよ。

──この映画で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞。以降、賞レースの常連となる──。

子供の時に他人と比較する無意味さを知ったので、受賞してもしなくても、何とも思わない。ただし、芸能ごとなんだから、世間が賞を楽しんでいるなら「さいですか」と言ってありがたくいただこうと思うの。でも、トロフィーはかさばるからイヤね。

4年前に旭日小綬章をもらった時はどうしようかと思ったわね。そしたら内田がね、「四の五の言わずに、おとなしくいただいとけ」と言ったの。「ロックンロール!」しか言わない人かと思ったら、「四の五の言わず」だって。私って、いかにも四の五の言いそうじゃない? よく分かってるなあと感心したわよ。
(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

<<樹木希林さんの連載・最終回はこちら>>

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