上皇ご夫妻も愛用したビニール傘 再起目指す老舗製造元
世界で初めてビニール傘を発明した会社が、東京都台東区にある「ホワイトローズ」だ。今年で創業300年。国内で唯一製造を続け、上皇ご夫妻にも愛用された。だが、千葉県の同社工場が東日本大震災、昨年の台風と相次ぐ自然災害で再建不能に。「国産ビニール傘の火を消したくない」と、クラウドファンディングで集めた資金で新工場に移り、再起を図っている。
同社は江戸時代の1721年創業。10代目社長の須藤宰さん(65)によると、戦後、前社長の父が進駐軍によって持ち込まれたビニールに着目し、傘を守るためのカバーとして売り出した。これを機に開発を続け、1950年代にビニール傘を完成させた。
当初は売れ行きが伸び悩んだが、1964年の東京五輪をきっかけに海外輸出で評価されたり、メディアに取り上げられたりするなかで徐々に浸透。やがて、ビニール傘は誰もが一度は手にしたことがあるほどに定着した。政治家からも「雨天時の演説でも顔が見える」と製作依頼が舞い込んだ。

平成時代、上皇ご夫妻も同社のビニール傘を愛用した。訪問先で自分たちの姿がよく見えるようにというお二人の配慮で、東日本大震災の被災地訪問時にも使われた。
だが、近年は安価な中国産が急増。国内業者は年々減り、今では同社のみに。「ビニール傘は『安価で使い捨て』のイメージがあるが、職人がつくる日本のビニール傘は長持ちする質の高いもの」と須藤社長。同社のビニール傘は8千円以上するものが多いが、防水性が高く、軽くて丈夫なグラスファイバーの骨が使われており、修理や整備もできることから、百貨店やネット販売で支持を得ていた。


だが、東日本大震災で千葉県旭市が大きな被害を受け、市内にある同社工場も半壊。さらに、昨年千葉県を襲った台風15号と19号で屋根が吹き飛ぶなどの被害を受け、精密機械を扱う工場内が雨漏りでぬれてしまう状態が続いた。
須藤社長は工場の移転を決めたが、数千万円の予算が必要な上、今春以降はコロナ禍で利益が半分以下に。再起をはかるため、7月中旬から、新工場への機械の運搬費用などをクラウドファンディングで募り始めた。
クラウド期間中には、客からの激励や「いいものを作り続けて」といった声が数多く寄せられたといい、8月末の期限までに目標額50万円を大きく上回る約350万円が集まった。
新工場は9月から本格始動している。須藤社長は「すれ違う人が傘ごしに道を譲り合うような小さな親切と安心感が味わえて、丈夫さと使いやすさを追求したビニール傘。多くの人に使ってもらえるように頑張りたい」と節目の再出発に意気込んでいる。
(杉浦達朗)