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森見登美彦×上田誠 『四畳半タイムマシンブルース』誕生の裏側を語る

※本記事は2020年9月8日に朝日新聞デジタルで掲載されました。

過剰な自意識をこじらせ、腐らせ、仲間とつるんで青春を浪費する大学生を描いた人気作『四畳半神話大系』から16年─。奈良在住の作家・森見登美彦さんが新作『四畳半タイムマシンブルース』(KADOKAWA)を出した。京都に拠点を置く劇団「ヨーロッパ企画」代表の上田誠さんの戯曲が原案。関西を拠点にエンターテインメントの先端を切り開き、小説と演劇の境界で出会った二人。互いの創作作法について、リモート対談で語り合った。

──上田さんの戯曲「サマータイムマシン・ブルース」(以下、原案)は、さえない大学生たちが突然現れたタイムマシンに翻弄(ほんろう)される喜劇です。森見さんがそれを『四畳半神話大系』(以下、『四畳半』)と合体させる形で、小説にしようと思ったきっかけは?

森見登美彦 2010年にアニメ化された『四畳半』をはじめ、いつも上田さんに、僕の小説をアニメの脚本にしてもらっていました。なので、たまには逆のパターンをやってみたいと。ただ全く自信がなかったので、本当はこっそりやるつもりでした。それが、つい編集者にぽろっと言ってしまい、「早く話を通さないと」となって。

森見登美彦さん(C)迫田真実/KADOKAWA
1979年、奈良県生まれ。京大院在学中の2003年、『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞。著書に『有頂天家族』など。

上田誠 森見さんは最初、「できたらいいんですけどね」ぐらいの感じで、すごく退路を残しているなぁと。

森見 失敗したら、いろいろ気まずくなるじゃないですか……。上田さんの戯曲の中では、原案は比較的手掛かりがあったというか。(『四畳半』と同じ)大学生が主人公だったり、主人公と女の子のロマンスがやんわりあったり。ちょこちょこっと、僕の付け入る隙があったので。

上田 小説の切り口が見えた?

森見 そうですね。原案をそのまま小説にするより、『四畳半』の世界の中で再現したほうが、僕には面白く書けそうだと思いました。

──原案では、大学生が部室のエアコンのリモコンを壊してしまい、タイムマシンに乗って過去からそれを取って来ようとする脱力系の冒険が描かれます。『四畳半タイムマシンブルース』(以下、今作)は、そのストーリーを比較的尊重したつくりですね。

上田 僕の舞台はあまりストーリーがない劇もあれば、綿密に組み上げているものも。原案はストーリーの縛りが強い方ですよね。

上田誠さん=ヨーロッパ企画提供
1979年、京都府生まれ。同志社大在学中に「ヨーロッパ企画」結成。17年、「来てけつかるべき新世界」で岸田国士戯曲賞。

森見 上田さんのストーリーに上乗せして面白くするというより、原案を舞台で見た時の面白さを、小説でどれぐらい再現できるか。それが、今回の自分にとっての課題でした。

──今作では、『四畳半』でおなじみの主人公、大学3回生の「私」と、後輩女子の明石さんの恋の進展が描かれています。

上田 森見さんの小説を読むと、主人公がひねくれていたり、世をそねんでいたり。でも最後に裏切られるというか、意外とハッピーエンドを迎えますよね。

森見 そう、ハッピーエンドを迎えないのは、腐れ大学生の片思いを書いた『太陽の塔』だけです。その『太陽の塔』でデビューした男という変なポリシーが、『四畳半』を書いた時にはまだあって。「女の子とくっつけて終わってよいのか」と。だから『四畳半』は本当のハッピーエンドなのか、あいまいな感じでした。それが、(2年後に刊行された)『夜は短し歩けよ乙女』になると、平気でくっつけている。

上田 作品として、割り切れるようになった?

森見 ぱっとしない自分に近い世界を書いた『太陽の塔』が出発点だったので、男の子と女の子がくっつく話をエンターテインメントとして割り切って書くところに、なかなか移行できなかったんですよ。私小説的な等身大の小説から、エンターテインメントに切り替えるのは、段階を踏んでやっていったことなので。今作は全然スタンスが違うというか、主人公の男女をはっきりくっつけています。今はもう話が終わるなら、くっつけばいいじゃんと。

──今作では、それまで明石さんをデートに誘えないことを「戦略的撤退」と自己正当化していた「私」が、自分を見つめ直す場面も。おなじみの登場人物たちにも成長が見られます。

森見 そこは意図したわけではなくて、『四畳半』を書いた時の文章は再現できないので、いまの自分が勝手ににじんでしまったというか。この間、ヨーロッパ企画の舞台「曲がれ!スプーン」のDVDのオーディオコメンタリー(音声解説)を聞いていたら、役者さんが「再演はつらい」という話をしていて。小説の場合も、同じ世界観、同じキャラクターで書くのは再演に近くて、書き手の気持ちとして同じところには戻れない。今回は『四畳半』のキャラクターで上田さんの戯曲を上演すると割り切ったので、かろうじて書けました。

上田 なるほど、続編というより舞台版みたいな。

森見 いま改めて『四畳半』を読み返すと、鬱屈(うっくつ)がにじみ出ているというか、ちょっと暗いんですよね。文章全般にもったりとした、どろっとした空気感みたいなものがまとわりついていて。キャラクターもそれでつくられているんだけど、それをいま再現するのは無理ですね。

上田 アニメの脚本にする時にプロットを分析したら、(主人公の悪友の)小津が夜来てただ泊まって帰っていったとか、「いるか? いまの1泊」みたいな。そういうノイズというか、学生時代の澱(おり)のような暮らしの些末(さまつ)さの集積が書かれています。

森見 ぱっとしない大学生のしょぼい日常のディテールがやたらいっぱいあって。華がないんですよね。

上田 でも今作は、さわやかになっていますよね。

森見 こんなにさわやかになるとは思わなかったです。『四畳半』の当時と、いまの自分の状況が全然違うこともあるし、上田さんの舞台が前へ前へ進んでいくお話なので、そのエネルギーを再現しようとがんばっていくと、こんな風にさわやかになるんだなと。澱(よど)まないんですね。

──原案は群像劇でしたが、今作は主人公の「私」と明石さんの恋愛小説とも読めます。

森見 小説の場合は主人公の話にしないと、ラインが1本通りません。原案はステージの上にタイムマシンがあって、周りの人たちがそれにどう反応するかで舞台が成立します。でも、小説でそれをやると、(読者が登場人物の)誰を追いかければいいか分からず、前衛的な小説みたいになってしまう。小説にすることを考えたら、タイムマシンを巡るバタバタの中で、主人公と明石さんの距離が近づいていく筋の通し方が、一番納得がいくというか。

上田 舞台版では、劇団員に恋のハッピーエンドを書こうという気にならないところがあって……。恥ずかしいというか照れるというか。それもあって、恋愛の要素は、めちゃくちゃあっさり書いているんですよね。映画化する時に、本広克行監督に「もう少し恋愛の軸を書いてくれたほうが良い」と言われて。映画の脚本を書くことで、僕の中で物語が書き換えられた。そういう映像化された作品に、原作者が影響されることもありますよね。森見さんも、アニメ版で描かれた明石さんに「引っ張られた」と。

森見 『四畳半』を書いた時、明石さんにそこまで思い入れはなかったですからね。読者も、明石さんをかわいいと思い始めたのは、アニメを見てからだと思うんですよ。今の文庫本の表紙はアニメになった後、イラストレーターの中村佑介さんが書いてくださったものです。

上田 不思議な読まれ方ですよね。

森見 今作は、上田さんの原案のストーリーを採っているし、アニメの影響も受けている。純粋に『四畳半』の続編かというと、ちょっと違いますね。

──いま小説を書く演劇人は少なくありません。小説と演劇の境界について感じることは?

上田 戯曲は文学の一形態とも言われますが、僕は文学として戯曲を書くことは全然なくて。ほかの演劇人が小説を書くのを見てきて思うのは、そういう人たちは舞台も小説的に書いている印象があります。僕が舞台をつくる時には、空間から発想します。役者を入れたらどんな絵になるか、エチュード(即興劇)でしゃべってもらって、「ああ、いいね」と調整していって書く。セリフはほんとに最後ってことも。舞台でしかつくれない方法を意識しているつもりです。

森見 だから小説になりにくいんですよね。

上田 舞台は、一つのことにフォーカスして時間を引き延ばして書くとか、そこだけクローズアップして描くことができません。舞台上では、均等に時間が流れていくから。

あらすじ/京都の学生アパートに暮らす「私」。真夏の晩、悪友の小津がアパート唯一のクーラーのリモコンを水没させてしまう。そこに現れたのは、タイムマシンで25年後の未来から来たという男。果たして「私」は壊れる前のリモコンを入手できるのか、そして後輩の明石さんとの恋の行方は──。

森見 小説だったら本当に寄れるというか、ここよく読んでください、というところにグーッと寄れます。そこをうまく使わないと小説にならない、というのは大きいですよね。舞台は客観的というか、常に俯瞰(ふかん)していますもんね。

上田 だから、タイムマシンが出てきた時のリアクションがすごく対照的。舞台なら、みんなでそこに集まって物理的に騒ぎをつくっていくんですけど。森見さんの今作でいうと、「古来より人はタイムマシンの……」みたいに、脳内で、時間的にさかのぼるリアクション。そこが面白かったです。

森見 そう、小説では人がわーわー言っているだけだと、スケール感が出ないんですよね。主人公の中に入るか、歴史的なスケールを大きくとるか。

──京都で学生時代を過ごしたお二人ですが、それぞれ『四畳半』と原案で描いた学生生活は、実際の姿とは違いましたか?

森見 四畳半に住んで、ぐだぐだしていたのはリアルですが、キャラクターや出来事には理想が入っていますね。僕としては、イケてない大学生のモタモタした感じの小説を書いたつもりなんですけど、いまの若い人たちは「こんな学生生活だったら楽しいのに」と思うらしいです。

上田 僕は大学に入学してすぐにヨーロッパ企画を立ち上げました。年に3回公演するような生活で、めちゃくちゃ忙しかったから、周りのサークルの人たちが夏合宿とかをやっているのが、うらやましくて。原案を書いた時には、劇の中で青春を、という気持ちはありましたね。

森見 上田さんは僕とは逆。僕はだらだら側ですよ。だらだら側の日常に、ちょっとアクティブなものをまぜて小説にしている。

──新型コロナウイルスによって、キャンパスに通うこともままならない学生もいます。学生たちにメッセージはありますか?

上田 いま僕が若者だったら、劇団を組もうとは思わないかもしれない。劇団の「団」って、集まるということですからね。劇自体はきっとできるんですけど、劇団が……。僕自身、いま根本的な改革を余儀なくされています。悩ましいですね。

森見 上田さんはいま、(演劇のネット生配信など)本当に色々なことを試されていますよね。僕の学生時代は基本、四畳半で本を読んでいて、あんまり新型コロナの影響を受けそうにありませんね……。

上田 僕も学生時代に読んだ本は、いまも糧になっています。

森見 いまが逆に、読んだり考えたりするチャンスではあるかなと。僕の小説はいいから、もうちょっとためになりそうなものを読んでほしいですね。

(構成 上原佳久、増田愛子)

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