そばかすの姫と監督、出会いは奈良の靴店「曲がやばい」
アニメ映画「竜とそばかすの姫」(16日公開)が細田守監督の新作として注目される中、気鋭のミュージシャン・中村佳穂さんが主人公の声に起用され、話題となっている。新作は歌が重要な意味を持ち、中村さんは高校生「すず」と分身の歌姫「ベル」を演じる。今から2年前、構想を練っていた細田監督が中村さんと初めて出会ったのは、古都・奈良だった。
格子戸の家並みが広がる奈良市中心部の「ならまち」は、鹿が遊ぶ奈良公園、興福寺や東大寺などに近い。その一角にある靴店「NAOT NARA」で、普段は靴を選ぶ客がくつろぐ長椅子の代わりに、小さな椅子が所狭しと並べられた。2019年7月7日の夜のことだ。
用意された60席ほどがびっしりと埋まり、立ち見もいる。ピアノが配置された店内にメガネの女性が登場した。中村さんだ。
柔らかいハスキーボイスが店内を包む。ゆったりと時にはアップテンポなメロディーラインが、胸に染みる。ジャズのような即興性のあるリズムも会場を盛り上げた。その場にいた同店店員の服部多圭子さん(41)は「空間を全員で共有しているようなうねりを感じた」。
中村さんは京都精華大卒で京都出身の29歳。関西中心にライブ活動をしてきた。18年のセカンドアルバム「AINOU」が音楽専門誌で激賞され、発表曲が米津玄師さんらミュージシャンに絶賛されるなど、知名度が急上昇中だ。
中村さんが歌う姿を、壁にもたれてじっと見つめる男性がいた。細田監督だ。
「竜とそばかすの姫」の物語は高知から始まる。母と一緒に歌うことが大好きだった17歳の内藤鈴(すず)は、幼い頃の母の死を機に歌うことができなくなっていた。ある時、インターネット上の仮想世界に「ベル」として参加すると自然と歌え、その歌が注目を集めていく。そして謎の「竜」に出会う――。
細田監督は当時、新作のシナリオをほぼ固め、配役や音楽担当などの人選を進めていた。「スタッフから『中村佳穂はやばい』と勧められ、彼女の曲『そのいのち』を聴いたら確かにやばい。作品のヒントになるかもって」。中村さんのライブ日程を調べ、直近に開催される奈良へ向かった。
ライブ前、楽屋に細田監督から日本酒の一升瓶が届けられ、中村さんは細田監督の来訪を知った。細田監督は打ち上げにも飛び入り参加した。
ライブから約1年半後の昨年末、「すず/ベル」役のオーディションがあり、中村さんが選ばれた。細田監督から中村さんをオーディションに誘った。演技未経験という話だったが、表現力に驚いたという。「歌の映画だから、歌の力っていうのが何よりも優先されなきゃいけないという判断だった」と起用の理由を話す。
中村さんは「本当に楽しんで音楽に向き合っているので、歌をいつも通りに心を込めてやろうという意識だった」とオーディションを振り返る。細田監督と初めて出会ったライブにも触れ、「その時に素直にいられたことが、映画出演につながったきっかけだと思う」と語る。映画を配給する東宝によると、映画では劇中歌4曲を歌う。
映画公開を機に「NAOT NARA」も、細田監督と「そばかすの姫」が最初に出会った場所として注目を集めそうだ。
普段は、イスラエル製ブランド靴「NAOT」の代理店。経営する宮川敦さん(47)やスタッフが文化芸術に関心があり、店内に雑貨や本を置く。インタビュー雑誌を不定期で発行し、店内でライブを催す。
細田監督が訪れた日は、中村さんとシンガー・ソングライターの折坂悠太さんの2人を迎えた開店4周年記念ライブだった。宮川さんは「あのライブが映画につながるなんて、想像もしてなかった。お客様とのたくさんの出会いに感謝しているが、2人の出会いもそんな日々の出会いの延長なのかなと思う」。(米田千佐子)
細田守監督と中村佳穂さん、インタビュー
新作アニメ映画「竜とそばかすの姫」の細田守監督と主人公の「すず/ベル」の声を務めるミュージシャンの中村佳穂さんに最初の出会いなどを聞いた。
――2019年7月7日、奈良市の靴店「NAOT NARA」であった中村さんのライブで、細田監督は中村さんと初めて出会いました。新作はどういう制作状況だったんですか
細田さん シナリオがある程度できていて。どういう人をキャスティングするといいかな、どういう人に音楽を作ってもらうといいだろうとアイデア出しをしたら、「中村佳穂がやばい」と言われて。「そのいのち」のライブ版をユーチューブで聴いて「あ、確かにこれはやばいやつだ」と。シナリオが固まった時点で、見にいきたいと調べたら、奈良で(シンガー・ソングライターの)折坂悠太君とのライブがあるとわかった。作品のヒントになるかもと思って。
中村さん 「座れなくてもいい」と監督が立って見てらしたの、覚えてます。
細田さん ソールドアウトだったけど、日本酒をもっていったら入れてくれるだろうと。
中村さん 楽屋で、折坂君と「ライブ楽しみだね」と話していたら、「細田さんからです」と一升瓶が届いて。その時にライブにいらしているのを知りました。
――中村さんのライブはいかがでしたか。
細田さん 中村さんってミュージシャンの中でも、ジャズっぽかったり、即興だったりっていう方向性の人だと思っていて。だからこそ、ライブを見なきゃと思ったし、見ることが正しいなと改めて思った、すごく盛り上がった。その後、みんなで打ち上げの席を囲んで。朝2時くらいまで。
――打ち上げでは新作の話は出なかったのですか。
中村さん 「作品作るのって時間がかかりますか?」と聞いたら、「2年くらいかかるんじゃないかな」とおっしゃって。「(新作は)2021年かあ、楽しみにしとこう」と。ストーリーを聞いたわけでもなかったし、「楽しみにしています」と伝えました。
――奈良のライブから約1年半後のオーディションで、中村さんが主人公の「すず/ベル」の声に選ばれました。
細田さん 映画がこんな感じとわかってきたときに、みんなが候補に中村佳穂を挙げるから。次はTBSの番組でのスタジオライブで会って、3回目に会ったのがオーディション会場。中村さんは演技経験とかないよね。よくオーディションに呼んだなあと。
中村さん 台本読みの時点で思いました。「私を呼ぶんですか」って。
――細田監督がオーディションに中村さんを誘ったのですか。
細田さん そうですそうです。オーディションの最初の基準として歌に表現力がないと、ということで、そうとう絞られたんです。オーディションの3日目だったんですよね。それまですごい実力者もいっぱいいて。最終日で「あ、中村佳穂だ」って。
中村さん アハハハ。
細田さん そしたらみんなひっくりかえったんだよね。歌が素晴らしいのは当然だけど、お芝居がすごくてびっくりした。ミュージシャンでも中島みゆきさんみたいな、アルバムの中に朗読が挟まるみたいな人は、演技できるんだなと思うけどさ。演技経験はないんでしょう?
中村さん まったくないですね。
――中村さんはどんな気持ちで臨みましたか。
中村さん 2度ライブを見に来てくださっているので、適当に選んだわけじゃないって思いました。ライブを見てくださっている人だと信頼を置いて。じゃあ、私にできることはと考えて。普段、本当に楽しんで音楽に向き合っているので、オーディションの日もただただ初めて見る現場を楽しんで、歌はいつも通り心を込めてやろうと。
細田さん 中村さんのそういうところがいいなと思う。歌をどうやって聴いた相手に届けるか、歌そのものをどうやって尊重するかを大事にしているから届くんだと思う。歌とかお芝居が技とか武器じゃなくて、中村さんにとって大事にしているもの、みたいな感じ。
中村さん そうですね。オーディションも「主演を射止めよう」っていうより、「あのとき奈良でお話しした新作かあ」と思って。私の音楽が必要な場合があるんだ、じゃあ私の音楽、声を聴いてもらって、監督が何かを感じることが大事、オーディションで私が受かるかどうかは作品が決めると思っていて。
細田さん 本当にそう。その役に合うかどうか、絵になるかどうかって場だから。映画にぴったりかどうか、まさに映画が決める。
中村さん オーディション(で主演に)決まったって言っていただいた時も、細田さんに「よかったね」って言われたのがすごい印象的で。
細田さん 「よかったね、おれが決めたんじゃないけど」って。でもほんとにそんな感じなんだよ。だっておれも、中村さんだと思ってなかったから。でもね、そうやってこの映画の主演が決まるのは、やっぱり表現っていうことに絞られて作られた作品だから。歌の映画だから、歌の力っていうのが何よりも優先されなきゃいけないという判断で中村さんになっている。
中村さん うれしいです。歌っていうのは、お祝いの日とか何か理由があるほうが輝くものだと思っていて。(NAOTの4周年の)お祝いのために来て欲しいって言われると歌は輝く。なので規模は関係なくて、ほんとに純粋にライブにうかがいました。歌が楽しいなってよく覚えてます。その時に素直にいられたことが、映画の出演につながったきっかけだとも思うし、出られて良かったな。
細田さん あのあとね、奈良で泊まって、宿の人に「何十年に1回公開される(神社仏閣の)宝物があるので見て行ったらいいですよ」って言われたんだけど、「いや、いいです」って。「中村佳穂を見たのでいいです」って感じで。「宝物は今度の機会にします」って。別の宝物を見たって感じでしたよ。