Presented by サッポロビール株式会社

ガレージシャッターを3回壊して「ガッデム!!」 黒のカリスマ・蝶野正洋さんが語る、愛車の魅力と新人時代のエピソード

“黒のカリスマ”と称され、少し近づきがたい雰囲気のある、プロレスラーの蝶野正洋さん。実は、芸能界きっての「クルマ好き」であることは、あまり知られていません。

無鉄砲で常識にとらわれない橋本真也さん、先を見据えながらも独自路線をひた走る武藤敬司さんなど、十人十色のプロレスの世界。蝶野さんによれば、ボディタイプやメーカー、年式、さらにはカスタムなどさまざまな楽しみ方があるクルマと通じるところがあるそうです。

新人時代の自身を「50ccのパッソルレベル」とたとえる蝶野さんに、ご自身の愛車とプロレス、そしてそのプロフェッショナリズムを支える「車軸」でもある家族について話を聞きました。

制作:すずきあきら+朝日新聞デジタルスタジオ
撮影:栃久保誠

海外遠征のドイツで「やっぱり、ボスはベンツだ」

──現在の愛車はメルセデス・ベンツということですが、ドイツ人の奥さまの影響が大きいんでしょうか?

家内はブレ―メン出身なんですけど、ドイツの北側だとBMWは人気ないらしいんですよ。あれはもう南のミュンヘンの車だと。南は信仰心の深いカトリック系、北はプロテスタント系が多くて、対抗意識があるそうなんです。実際には、南でベンツをつくったりもしてるらしいんですけどね(笑)。

──日本人にはわからない機微ですね(笑)。中でも「黒塗りのベンツ」を選んでいるとうかがっていますが、それはやっぱり、蝶野さんの好みなんですか?

家内と結婚する前から、もともと黒が好きだったんです。過去に乗っていた2台のフェアレディZはどっちも黒でしたね。

ベンツを選んだ理由は、海外遠征でドイツに行った影響なんです。当時、現地のトップレスラーでプロモーターのオットー・ワンツがベンツに乗っていて。新日(新日本プロレス)で言えば(アントニオ)猪木さんみたいな存在。要するにボスですね。ナンバー2のトニー・セント・クレアーはBMWだった。最初はBMWがカッコいいなと思っていたんですけど、「やっぱり、ボスはベンツだ」と肌身で感じたのが大きかったですね。

僕が欧州に向かう1987年ぐらいの頃は、日本だと猪木さんがキャデラックとリムジン。全日(全日本プロレス)の(ジャイアント)馬場さんがリンカーンだった。ドイツ車ではなく、アメ車だったんですね。新日と全日で、キャデラック派とリンカーン派に分かれていたんです。時計なら、NWA系の馬場さんはローレックスを好むけど、猪木さんはそれ以外のメーカーを選ぶ。そのあたりは、アメリカのプロレスの流れを汲んでいるところもあったりします。

ガレージシャッターは鬼門。3回ほど壊して「ガッデム!!」

──ベンツの前はフェアレディZに乗っていたとのことですが、若い頃はスピードや見た目のカッコよさを求めがちですよね。その後、家族ができるとミニバンとかSUVになっていく、というのが定番コースですが、蝶野さんはいかがでした?

まったくその通りでしたよ。結婚してしばらくはベンツのSL350という2ドアのオープンカーに乗っていたんですけど、子どもができて4ドアのSクラスの大きいヤツに替えました。ただ、まだ子どもたちが小さいから、食べ物をこぼしたりなんだりで、半年後には後部座席がぐちゃぐちゃになっちゃって。

ファミリーカーにしとけばよかった(苦笑)。その3年後には2人目の子どもが生まれて、高級車がさらに悲惨なことになって。「じゃあコンパクトにしよう」とCクラスのワゴンに買い替えたら、今度は「狭い」とか言いはじめたりするしね。贅沢なヤツらだな、と。

その後は、子どもたちの体が大きくなってきたこともあって、日産のエルグランドに替えました。キャプテンシートになっていたから、「これはいい!」と思って。今は中間をとって、家内の車はSUVにしています。やっぱり子どもの成長に応じて変わっていきましたよね。

──家庭での蝶野さんの顔が垣間見えてほっこりしますね。蝶野さんは今、またベンツに乗っていますが、ほかのクルマと一番違うところって、どこですか?

一番長く乗っていた車がS350。今より1つ前の形で、2006年ごろから10年近く替えなかった。というのも、古さを感じないんですよ。流行りを背負っていながら、普遍性も兼ね備えているというか。新型のSクラスも違った形でそれを継承している。やっぱりデザイン性がすごいんですよね。

一貫して言えるのは、走行性の安定性。明らかにほかの車とは違いますから。ただ、クルマを壊した時の修理代はちょっと怖い(笑)。でもよく見ると、小さな部品にも高価な素材を使うとか、とにかく細部にこだわっているんですよね。塗装にしても、日本車だったら2、3回塗りのところを、ベンツは5層塗装している、なんてこともありますから。

よく自分の駐車場でこすったり、ぶつけちゃったりするんですよ。とくにシャッターは3回ぐらい壊していて、鬼門みたいな場所。出発してすぐに子どもが「あ、忘れ物した」って言うからバックしたら、シャッターが閉まっているのに気づかなくて。ミラーもろともバカーンッてツッコんだり(笑)。そりゃもう、「ガッデム!!」ですよ。

前田日明のデカさに驚愕。先輩の真似をするか悩んだ新人時代

──それは「出ちゃい」ますよね(笑)。「ガッデム」はプロレスラーとしての蝶野さんの決め台詞ですが、反射的に使いやすいフレーズですから。新日本プロレスに入門されたのが1984年。自叙伝では、道場に集う猛者たちを見て「この人たちに勝てねぇな」と思ったと記しています。クルマで言えば、セダンがハマーに向かっていくような心境かと想像したんですが……。

いやぁ、排気量で言ったら、50ccのパッソル……。下手したら電動自転車レベルですよ、マジメに(笑)。道場には、セドリックとかクラウン、センチュリー、プレジデントレベルがいる。海外の選手たちはキャデラック、ベンツクラスがいるわけです。

しかも、その車体で高速に乗って競争しなきゃいけない、みたいな。こっちはスピードも出ない、長距離も走れない、燃費も悪い。明らかに「これは無理だろう……」って感じでしたね。入門前に下見で道場に行ったんですけど、裏手にある電話ボックスで話している前田(日明)さんを見て驚きましたからね。体がはみ出してて、ドアを開けないとしゃべっていられないくらいのデカさ。「すげぇなこれ」って(笑)。

──それは圧倒されますね(笑)。同期は、後に闘魂三銃士と呼ばれる橋本真也さん、武藤敬司さんと個性派ぞろいです。自分らしい技やキャラクターがつかめない時期に焦りや苦悩はありませんでしたか?

若い頃は、先輩の真似をしたいんですよね。ただ、真似事をするっていうのは、オリジナル性がないってことで恥じる部分でもあるし、勇気が要ることでもあるんです。基本的に先輩の技をやるって、選手たちは気を遣う。

その中で、橋本選手は前田(日明)さんの真似をしてニールキックをやって、早めにフライングした。武藤さんもタイガーマスクの真似をしてムーンサルト(プレス)をやった。とくに前田さんのニールキックは、前田さん本人やUWFの高田(延彦)さんたちが新しい技術を取り込んでいる時期で、カッコよく感じたし、みんな興味はあったと思う。

自分はサッカーをやっていたから、蹴り関係は多少の自信はあったんです。ただ、新弟子の2〜3カ月ぐらいの時期にそれをする勇気がなかった。しかも、二番手三番手でやったら、あんまりカッコよくないじゃないですか。そのあたりの「取り入れるべきかどうか」って悩みはちょっとありました。

この前、STF(うつぶせになった相手の片足を曲げ、足首を両足で挟んで固定。そのまま背後に覆いかぶさり、相手の顔面を腕で締め上げる、蝶野さんが得意としたプロレス技)を使いたいって選手から「許可をもらえませんか?」って聞かれたことがあって。「あれはオレじゃなくてルー・テーズの技だよ」って伝えたんですけど、オレに認めてもらったってなると「箔がつく」んですよね。「○○公認」みたいな。今はもうそんな感じですけど、当時の自分にはそんな余裕はなかったですね。

蝶野正洋(ちょうの・まさひろ) 1963年9月17日、父親の赴任先だった米国ワシントン州シアトルで生誕。2歳半の時に帰国。1984年に新日本プロレスに入門。同年、武藤敬司戦でデビューした。1987年から2年半におよぶ海外遠征に出発。遠征中に武藤敬司、橋本真也と闘魂三銃士を結成。1991年に第1回G1クライマックスで優勝し、以降は前人未到のV5を達成。1992年に第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にnWo JAPANを設立して一大ムーブメントを巻き起こす。その後、TEAM2000を結成するなどプロレス界を盛り上げた。2010年から「AED救急救命」「地域防災」の啓発活動、東日本大震災の復興支援活動を開始。フリー転身後の2014年にAEDの普及・啓発を目的とした「一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会」を設立した。近著に「自叙伝 蝶野正洋―I am CHONO」(竹書房)がある。
すずきあきら フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」更新中。http://s-akira.jp/

<<後編はこちら>>

この記事をシェア

facebookにシェア
twitterにシェア
tLINEにシェア

SHARE

facebookにシェア
twitterにシェア
tLINEにシェア

オススメ記事
RECOMMENDED

↑TOPへ